【論説】死刑制度巡る議論 国の情報開示が不可欠だ

日本の死刑は本人に告げてからわずか1~2時間後に執行される。不意打ち的で最期に家族らと会うこともできない。そんな現行運用の是非を確定死刑囚2人が問うた訴訟で、大阪地裁が先日判決を言い渡した。

初めてとみられる争点なのに、原告側が主張した違憲性などの判断をしないまま賠償請求などを退けたのは残念だが、審理では以前の運用実態が明らかになるなど秘密のベールに包まれた死刑執行の一端が公になった。

国の秘密主義打破を訴訟の目的の一つに掲げる弁護団の立証の成果だが、国は原告側の説明要求にもかたくなに答えず、秘密主義を貫いた。その姿勢は情報公開で死刑を巡る議論が活発化するのを恐れているようにすら見える。

日弁連が事務局を担う「日本の死刑制度について考える懇話会」が2月に設立され、前検事総長や元警察庁長官、犯罪被害者や国会議員ら各界、各層の委員16人が国への提言取りまとめに向けて議論を始めている。

本来なら国が主導すべきテーマだ。国民的議論の前提として、執行対象の選定や執行の実態などの情報を広く開示することが不可欠であり、せめて国はその責任を果たすべきだ。

死刑は法律の定めにより、法相の命令から5日以内に絞首によって執行される。しかし本人告知や刑場への連行手順などの運用は行政側の裁量に委ねられている。

大阪地裁での審理で、国は執行当日の告知について「死刑囚の心情の安定を図り、自殺などを防ぐ目的」と説明。原告側は「少なくとも1970年代までは前日までに告知していた」と主張し、証拠として録音データなどを提出、採用された。

データは55年に刑が執行された死刑囚について、当時の大阪拘置所長(故人)が告知から2日後の執行までの様子を録音していた。訴訟がなければ公にならなかった貴重な客観資料と言える。

他の死刑囚と送別のお茶会を開く様子や最期の面会をした姉とのやりとりなどを記録。おえつする姉に死刑囚は「もう泣かんで」と気丈に声をかけ、執行当日は後悔の念を吐露していた。

国が懸念するような取り乱す様子はない。ほかの事例はどうなのか。国が一切公表しないため、国民は判断できない。

訴訟で国側は、前日に告知した死刑囚が自殺したケースがあり、当日告知に変更したと説明したが、その時期や詳細については明らかにしなかった。異常な秘密主義と言わざるを得ない。死刑は最も冷厳で究極の刑罰である。その存廃は主権者である国民の意思に基づくはずだ。国が判断材料を提供しないことは許されない。

48年に死刑を合憲とした最高裁大法廷判決には「憲法は死刑を永久に是認したとは考えられない。時代とともに変遷する国民感情によって定まる」とする裁判官4人の補充意見が付いた。

既に76年が経過した。死刑廃止が国際的な潮流となって久しく、国を挙げて存廃などを議論する時期がとうに来ている。

内閣府の2019年の世論調査では、80%余りが「死刑もやむを得ない」と回答し、国などがしばしば引用するが、死刑についての情報がほとんどない中での民意だ。死刑囚の処遇や執行の現実を知れば、変化するとの指摘は根強い。