太子堂再建 寄付者名簿に勝海舟、渋沢栄一ら 水戸・善重寺:茨城新聞

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2020年5月29日(金)
太子堂再建 寄付者名簿に勝海舟、渋沢栄一ら 水戸・善重寺
大正初期、多くが肉筆


【写真説明】
寄付賛同者の署名簿を開いて見せてくれる善重寺の藤本貫大住職。勝安芳(海舟)や渋沢栄一らの名も見える=水戸市酒門町



水戸市酒門町の浄土真宗の古刹、善重寺に伝わる「木造 聖徳太子立像」(国重要文化財)は、全国に数ある太子像の中でも、特に優れた作例として専門家の間で評価が高い。その存在は、明治後期には各界の有力者たちに知られていた。同寺には像を安置する太子堂を大正初期に再建した際、寄付に賛同した人たちの名簿が残る。勝安芳(海舟)や実業家の渋沢栄一らそうそうたる顔触れだ。

同寺によると、名簿は幕末の動乱で失われていた太子堂の再建を図った際、資金協力に賛同した人々の名を記す。和綴(と)じで6冊分。多くが本人の肉筆だ。署名運動は1897(明治30)年に始まり、太子堂は1913(大正2)年9月に完成した。太子像は15年に旧国宝に指定されている。

名簿に登場するのは計571人。勝や渋沢のほか、日本画家の橋本雅邦(帝室技芸員)、彫金家の海野勝☆(王ヘンに民)(同)ら美術家、樺山資紀、西郷従道、榎本武揚ら政治家、東宮職御用掛の杉浦重剛らの名前も。茨城県ゆかりでは野口勝一(衆院議員)、松村任三(理学博士)、横山大観(日本画家)らが名を連ねている。

同寺の藤本貫大住職によると、当時の太子堂再建には、文化財保護に高い見識があった九鬼隆一(帝国博物館総長)と岡倉天心(東京美術学校長)が大きく関わり、賛同者への働き掛けも2人の力が大きかったという。併せて人々を動かした力の源泉は「日本人の根強い太子信仰と、像そのものの素晴らしさだったろう」ともいう。

同寺の太子像は、江戸時代に徳川光圀から寄進を受けた。以前は現在の城里町の浄土宗の寺にあったという。作者は不明だが、彩色などの様式から鎌倉時代末ごろの作とみられている。元県文化財保護審議会委員で仏教美術史が専門の後藤道雄さん(87)は「地方で作られたとは考えられず、京都で作られ、佐竹氏を介し茨城にもたらされたのではないか」という。「作風から朝円という仏師の作である可能性もある」と話す。

同寺では毎年、聖徳太子の命日の2月22日に太子像を公開。例年50〜100人ほどの参拝者数だったが、今年は直前にテレビ番組で紹介されたため、1500人超が訪れた。

藤本住職は名簿の登場人物の中で特に渋沢栄一を挙げ「渋沢と茨城の文化財の関わりはあまり言われことがない。1万円札の肖像画にもなるので、かつての(肖像画になっていた)聖徳太子とつなげて関心を持ってもらえれば」と話す。




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