2017年1月9日(月)

原発被災者の思い 描けない帰還への道

富岡町の佐藤さん一家 茨城で娘の成長見守りたい

避難先のアパートでアルバムを眺める佐藤正人さん、恵子さん、愛恵さん、愛唯さん(左から)=ひたちなか市内
避難先のアパートでアルバムを眺める佐藤正人さん、恵子さん、愛恵さん、愛唯さん(左から)=ひたちなか市内

福島県富岡町からひたちなか市内に家族で避難する佐藤正人さん(48)は、故郷に戻る時期を見いだせずにいる。町は一部地域を除いて4月の住民帰還を目指しているが、佐藤さんは「今すぐに戻る理由が見つからない」。本県で子どもたちの成長を見守り、いずれ町に帰りたい考えだ。

■家族だんらん
年の瀬の昨年12月29日。昔のアルバムを眺める家族の姿に、佐藤さんは目を細めた。

妻、恵子さん(49)、県内の高校に通う三女、愛唯(あい)さん(16)と3人で暮らす同市内のアパートに、都内の大学に通う長女、愛恵(めぐみ)さん(21)が帰省して戻ってきた。

山梨県内の大学に進んだ次女、愛実(まなみ)さん(19)が加わることもあり、「全員そろうと狭くて困る」と恵子さんはうれしそうな表情を見せた。

家族で広げていたのは、愛唯さんが同町で通った幼稚園の卒園アルバム。伸び伸びと遊ぶ愛唯さんの姿があった。

故郷を離れて間もなく6年。佐藤さんは思いを口にする。「少なくとも愛唯がわれわれから離れるまでは、ここにいたい」

■「人に恵まれた」
佐藤さん一家は、東京電力福島第1原発から約8キロの富岡町内で暮らしていた。原発事故が発生した直後の2011年3月14日、一家で恵子さんの実家がある北茨城市内に避難した。

電気工事会社に勤める佐藤さんは当時、福島県大熊町の営業所で働いていた。避難後間もなく、津波被害を受けた福島第2原発の復旧作業に加わった。いわき市内の社員寮に入り、週末には家族の元に帰った。

仕事に追われる一方、子どもたちが地域になじめるか心配だったが、学校が親身になって対応してくれた。「困ったことがあれば、いつでも言ってください」。先生の言葉がうれしかった。

日立市内の高校に編入した愛恵さんは「(同級生に)茨城弁を教えてもらった」と当時を振り返る。愛実さん、愛唯さんは北茨城市内の剣道道場に入り、交流の輪を広げた。

「子どもたちは人に恵まれた」。佐藤さんはしみじみと話す。

■空き巣被害に
佐藤さんは15年4月、東海村内の営業所に異動となり、ひたちなか市内にアパートを借りた。

避難生活を続ける中、気掛かりなのは故郷に残る自宅だ。現在、避難指示解除準備区域にある。

昨年11月下旬、初めて空き巣被害にあった。窓ガラスを割られて侵入された。再犯を防ぐため、すぐに防犯カメラを設置した。映像は携帯電話で常時チェックできる。

町は帰還困難区域を除き、4月の住民帰還を目指している。ただ、むしろ心配な面があると佐藤さんは警戒する。「避難指示が解除されれば町には常に人がいる状態になる。不審者が見分けにくくなり、空き巣被害が出るのではないか」

今後、仕事でいわき市内に移る可能性はある。その時点で町に戻るかどうかは分からない。電気や水道といった町のインフラは着実に復旧しているものの、生活するには現状は厳しいと感じるからだ。「買い物や医療といった面で不便な部分がある」

いずれは町に戻りたいが、「その時期は明確じゃない」。帰還に向けた道筋は、まだ描けないでいる。 (小野寺晋平)

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