2017年6月19日(月)

会沢正志斎の書簡翻刻 元国会図書館職員の井坂さん

幕末水戸藩、研究の礎に

会沢正志斎の晩年の書簡を翻刻し、「会沢正志斎の晩年と水戸藩」と題して出版した井坂清信さん=水戸市笠原町
会沢正志斎の晩年の書簡を翻刻し、「会沢正志斎の晩年と水戸藩」と題して出版した井坂清信さん=水戸市笠原町

幕末水戸の藩儒学者として藩政改革の中心を担い、吉田松陰ら全国の志士たちにも影響を与えた会沢正志(せいし)斎(さい)(1782〜1863年)。その会沢が晩年に同僚に宛てた書簡を、元国立国会図書館職員の井坂清信さん(70)=水戸市出身、千葉市在住=が翻刻(活字化)し、「会沢正志斎の晩年と水戸藩」(ぺりかん社)と題して出版した。「丹精な肉筆をたどっていくと、複雑な事情を抱えた藩の中で、諸問題に対峙(たいじ)した生真面目な性格がうかがえる」と井坂さん。「本著をベースに、会沢を軸にした幕末水戸藩の研究を発展させてほしい」と話している。

井坂さんは県立水戸一高を経て、早稲田大大学院文学研究科修士課程を修了。1975年から2008年まで国立国会図書館に勤務し、支部東洋文庫長、資料保存課長などを歴任した。

33年にわたる図書館業務の中で、古典籍課には30代半ばから11年在籍。この間、江戸期以前の和古書や、清朝以前の漢籍、徳川幕府が所蔵していた蘭書などの整理・購入に携わったほか、特任として翻刻と漢籍目録を作成した。藤田幽谷や豊田天功ら水戸藩ゆかりの学者の書簡も翻刻し、退職後はそれまで書き留めた論考を集め、「江戸時代後期の水戸藩儒-その活動と翻字-」(2013年、汲古書院)の題で出版した。

今回の「会沢正志斎の晩年と水戸藩」は、晩年の会沢が同僚の水戸藩儒学者、青山延光(のぶみつ)(1807〜71年)に宛てた書簡(同館所蔵)全180通を年代考証を踏まえ翻刻し、理解を促すため解題(解説)を加えている。

「解題」「翻字」の2部で構成。第1部「解題」では、安政・万延・文久年間(1854〜63年)の水戸藩や藩校弘道館の情勢を考慮し、当時の会沢の私事を含めて詳細に記述。第2部「翻字」は、180通の書簡を忠実に翻刻した。

井坂さんは「欧米列強の巨大な波が日本をのみ込もうとした最中、水戸藩や弘道館について会沢が述べた見解からは、幕末政治史の重要な一面を垣間見ることができる」と、翻刻の意義を説く。

興味深いのは、会沢が個人的な事情に触れている点だ。第1部「解題」の「会沢の弘道館頭取復職と隠居願提出」の箇所を、井坂さんは「古希を過ぎても引退を許されず、藩主・徳川斉昭の過大な期待に応えねばならない、悲鳴のようなものが聞こえてくる」と指摘。「青山の体調不良と会沢の対応に関する書簡」の箇所については、「当時は青山自身の体調も芳しくなかったようで、ともに弘道館教授頭取の重責を担う青山の負担感は相当なものだった」と思いを巡らせている。

「会沢正志斎の晩年と水戸藩」は8640円。問い合わせはぺりかん社(電)03(3814)8515

(沢畑浩二)

★あいざわ・せいしさい
父親の水戸藩士、会沢恭敬から学問の手ほどきを受けた後、10歳から儒学者、藤田幽谷の下で学ぶ。18歳で彰考館に入り、「大日本史」の編さんに携わる。徳川斉昭が藩主に就くと、藩政改革のブレーンとして、藤田東湖らとともに活躍。藩校弘道館の設立にも関わり、82歳で亡くなるまで弘道館教育の最前線に立つ。著作も数多く残し、代表作「新論」は、1824(文政7)年に北茨城の大津浜にイギリス人が上陸した事件に対し、取り調べに当たった会沢が危機感を抱き、その翌年に執筆した。

会沢正志斎肖像(個人蔵)
会沢正志斎肖像(個人蔵)

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