2018年2月4日(日)

幕末の新選組隊士・伊東甲子太郎の肉筆 水戸の男性、京都で入手

市歴史博物館に寄託 建言書草稿 「長州藩の寛大処置を」

伊東甲子太郎が公卿に意見を述べた建言書の草稿=かすみがうら市歴史博物館
伊東甲子太郎が公卿に意見を述べた建言書の草稿=かすみがうら市歴史博物館

現在のかすみがうら市出身で、幕末に新選組隊士として活躍した伊東甲子太郎(かしたろう)(1835〜67年)の肉筆史料が3日までに、同市の歴史博物館に寄託された。幕府が長州征伐を進める中「長州藩の寛大処置を」と朝廷に訴える建言書の草稿で、所有者の水戸市の男性の「多くの人に見てもらえれば」という申し出を同館が受け入れた。甲子太郎の肉筆史料は珍しいといい、同館は調査を進めた上で近く一般公開する予定。

草稿は縦約16センチ、横約62センチの和紙に漢文で書かれ、巻物のように巻かれて箱に保管されている。67(慶応3)年8月、親しくしていた公卿(くぎょう)の柳原光愛(みつなる)に宛てた建言書の下書き。所有者の男性が昨年、京都府内の古書店で入手し、12月、同館に「甲子太郎の肉筆ではないか」と連絡。特定の文字の略し方や筆跡を鑑定した結果、1月末に真筆と判明した。

草稿は、尊皇攘夷(じょうい)を掲げた長州藩と幕府軍が京都で戦った蛤御門(はまぐりごもん)の変(64年)を受け、朝敵とされた長州征伐が行われる中、長州が朝廷の支持を受けて国家のために行動したと訴え、寛大な処置をするよう求めている。

文中に「非常寛大」「平常一和」といった言葉が並び、長州を許し、一丸となって国難を乗り切るべきと提言もしている。文末には甲子太郎のほか、新選組高台寺派の斉藤一と藤堂平介、甲子太郎の弟の鈴木三樹三郎らの名前が記されている。

水戸藩学者の藤田東湖が墨の濃淡、文字の強弱を付けて文章を書く「東湖流」の影響が見られるという。

同館の千葉隆司学芸員は「文字を直したり書き加えたりした跡が見られる。建言書はこの後に清書して出されたようだ。清書された原本は見つかっておらず、本当に貴重な史料。散逸せず地元に戻ってきたことで研究も進む」と話した。

甲子太郎は志筑(しづく)藩(現かすみがうら市)に生まれ、13歳で水戸藩で剣術や水戸学を学んだ。江戸に出た後、64年に新選組の隊士募集に応じて合流。京都で活躍するが、長州藩とつながりがあったため、幕府に忠誠を尽くす隊長の近藤勇との間で確執が生まれ、暗殺された。生前、大政奉還後に国家政策の建白書を朝廷に提出したことでも知られる。

同館は3月4日まで、甲子太郎を紹介する企画展を開催している。(綿引正雄)

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