2018年2月12日(月)

【コラム】「成金」一寸先は闇

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「成金」という言葉が一般に広まったのは100年ほど前らしい。欧州で第1次世界大戦が勃発し、その特需で大もうけする人々が相次いだからだ。茨城県行方市出身の内田信也(のぶや)(1880〜1971年)もその一人だ。

大学卒業後、三井物産に勤めるも大戦勃発の34歳のとき脱サラし神戸で船会社を開業。チャーター船1隻での旗揚げだったが、大戦による船舶不足で急成長。3年後には船17隻、株式配当60割に達したという。

大戦後の反動不況で成金が続々没落する中、内田がすごいのはこの不況をいち早く見越し大方の事業を整理。売り抜けたことだ。その後は政界に転じ大臣にもなった。

米国発の株価急落が世界中を襲った。「億(おく)り人(びと)」なる新種の成金を生んだ仮想通貨ブームにも陰りが見えてきた。マネーの世界は一寸先は闇だ。

内田にはやや不名誉な伝説がある。乗った列車が転覆事故に遭った際「神戸の内田だ。金はいくらでも出す、助けてくれ」と叫んだという話だ。真偽はともあれ、いかにも成金根性と人々がうわさしたのは確かだろう。

金持ちはいつ大損するかと四六時中不安にさいなまれ、もうければもうけたで世のねたみを買う。「金がないのは気が楽か」と独りごちるのも悲しいが。

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