2018年2月22日(木)

金子兜太さん「水戸が原点」 県内俳人、惜しむ声

水高時代に処女句 白梅や老子無心の旅に住む

初めて詠んだ句が刻まれた句碑を訪れた金子兜太さん=2010年11月、水戸市松本町の保和苑
初めて詠んだ句が刻まれた句碑を訪れた金子兜太さん=2010年11月、水戸市松本町の保和苑

戦後70年余り、俳壇を泰然と歩んできた俳人の金子兜太さんが20日、逝った。旧制水戸高校(水高)時代に俳句を始め、「水戸が創作の原点」と語っていた。〈白梅や老子無心の旅に住む〉。水高時代に初めて詠んだ句は、無心の境地に自らを重ね、80年にも及ぶ句歴の中で出発点にふさわしい作品と位置付けられている。薫陶を受けた県内俳人から惜しむ声が相次いだ。

金子さんが生まれたのは「一句一句」と読める1919年。小中学生の頃から開業医の父が埼玉・秩父の自宅で頻繁に開いた句会を見学していた。37年に水高入学、3年間の寮生活の中で俳句を始めた。

18歳で初めて詠んだ句は、水戸を象徴する「白梅」を景色として視覚化し、無為無心の旅に住む老子に自らの姿を重ねた。

時を経た2010年、水高時代の友人、水戸市松本町で薬局を営む故笠原宏造さんらが金子さんの功績を伝えようと、近くの保和苑に処女句〈白梅や-〉を刻んだ句碑を建立した。

2カ月後、句碑の前に立った金子さんは「この句は私の青春の基礎」と感慨深げに語った。笠原さんの思いに賛同し、句碑建立に協力した茨城大名誉教授の佐々木靖章さん(77)は「金子先生の句は素朴さと反骨精神、新しさがある。水高の文化力がこういう形で残されるのは歴史的意義がある」とたたえた。

当時、同市東原の水高跡地も約70年ぶりに見て回った金子さんは「俳句の原点を感じた。さらに新鮮な気持ちで俳句を作れる」と笑顔を見せた。同時に「当時のこの辺りのことは思い出せない。学生時代は遊んでばかりだったので。そのくせここはにおいがする。これが思い出ってもんかな」と振り返った。

訃報を受け、金子さんから薫陶を受けた県内の俳人は悼んだ。

俳誌「〓(かおりぐさ)」主宰の成井惠子さん(80)=常陸太田市=は50歳を過ぎ、金子さんから学んだ。「繊細さと大胆さを備え、人間の幅が広かった。見る目が多角的で、一つの道がふさがれても別の活路を見いだそうとする人」と語り、「命にひた向きだったのは、戦地で極限状態を体験したからなのでは」と思いを巡らした。

金子さん主宰の俳誌「海程」に所属する根本菜穂子さん(57)=筑西市=は「見掛けは温厚だが、内面は凄みを帯びていた。『あたりめいだよ』『普通過ぎるよ』など歯に衣着せぬ批評が聞けなくなり寂しい」と惜しんだ。  (沢畑浩二)

※〓は草冠に惠

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