2018年5月16日(水)

維新後の困窮如実 水戸藩士、幕末尊攘で脚光

県立歴史館研究員 記述の手紙発見 耕雲斎の孫 援助にひれ伏す

旧水戸藩士、武田金次郎が経済的に困窮し不遇な晩年を送ったことを示す香川敬三の手紙=皇學館大学研究開発推進センター史料編纂所(提供写真)
旧水戸藩士、武田金次郎が経済的に困窮し不遇な晩年を送ったことを示す香川敬三の手紙=皇學館大学研究開発推進センター史料編纂所(提供写真)

幕末の尊王攘夷(じょうい)運動で脚光を浴びた水戸藩の武田金次郎ら上級藩士たちが、明治以降、経済的に困窮し不遇な晩年を送った実情を示す史料が見つかった。維新後、伯爵となった水戸藩出身の幕末志士、香川敬三が書き残した手紙類を、県立歴史館主任研究員の石井裕さん(41)が研究し、今春、「常陸大宮市史研究」で発表した。明治維新150年の今年、激動の時代に翻弄(ほんろう)された旧藩士たちの知られざる悲運が明らかになった。


水戸藩は幕末、尊王攘夷思想に連なる水戸学で吉田松陰ら多くの志士たちに多大な影響を与え、「維新の先駆け」となった。しかし、天狗党、諸生党による激しい藩内抗争で多数の人材を失い、明治維新に乗り遅れたといわれている。

石井さんは、皇學館大学(三重県)が管理する香川敬三の子孫の家に伝わる文書を研究。天狗党を率いた武田耕雲斎の孫、金次郎の晩年の困窮ぶりを、香川が知人に明かした手紙を発見した。

金次郎は天狗党の乱に参加後、王政復古によって朝廷から罪を許され、藩の実権を掌握。維新後、諸生党に対し激烈な報復を行い藩内は極度の混乱に陥った。廃藩置県後の晩年はあまり知られていなかった。

手紙は、1894(明治27)年12月23日付。金次郎が亡くなる約3カ月前の生活苦を生々しい描写で伝えている。手紙によると、香川が栃木県の塩原温泉に赴いた際、道端の粗末な小屋で暮らす、体が不自由な金次郎と出会った。物乞い同然の姿に驚き、香川が金銭を渡すと金次郎は喜んで受け取り、ひれ伏した。その様子に香川は何度も涙したとつづった。

香川は手紙で「自分は廃藩後、金次郎に数百円の援助を行った。旧藩主や旧重臣はどのような援助をしたのか。このまま『見せ物』のように放置した揚げ句、病死でもしたら水戸藩の恥である」とも記した。

金次郎はその後、水戸に連れ戻され、間もなく48歳で亡くなった。

別の手紙には、混迷する幕末の水戸藩を主導した鈴木重義、三木直ら尊王攘夷派の上級藩士に関する記述もあった。鈴木は晩年、経済的に困窮を極め香川や山口正定ら同藩出身の成功者に度々借金を申し出ていた。

三木は徳川光圀を養育した名門の末裔(まつえい)で、余生を神職として送ったが、最晩年は貧困にあえいだ。常磐神社宮司の座を目指したが、かなわなかった。

石井さんは「旧水戸藩士たちの晩年が経済的に苦しかったことがはっきりと分かる貴重な史料」と評価。幕末から明治にかけ、激動の時代を生きた旧藩士の栄枯盛衰に思いをはせ、「武田金次郎らは維新当初、いっときは勝ち組だった。全体を見たとき、果たして勝者と言えたのだろうか」と話した。 (勝村真悟)

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