2018年6月14日(木)

日立一高出身・綿引さん 甲子園で母校と対戦を 会社員から都立高教員 監督就任、膨らむ夢

大手損保会社から転職して高校野球の監督となった日立一高出身の綿引良宏さん=東京都中野区弥生町の都立富士高
大手損保会社から転職して高校野球の監督となった日立一高出身の綿引良宏さん=東京都中野区弥生町の都立富士高

22年間勤めた大手損保会社を辞めて教員に転身し、高校の野球部監督として甲子園出場を目指す男性がいる。県立日立一高時代に甲子園に出場した経験のある綿引良宏さん(48)。都内の中学教員を経て今春、都立富士高(中野区)に赴任。甲子園に出場した経験から「やればかなう」という自信を得た綿引さんは、「いつか母校と甲子園で戦いたい」と夢を膨らませている。

綿引さんは日立一高卒業後、早大に進学。大学でも野球部に入ったが、けがのため2年生で退部した。卒業後は教員も考えたが、税理士の父の影響もあり、多くの業界と取引がある損保会社への就職を選んだ。

野球熱が再燃したのは30代後半。長男が所属する少年野球チームを手伝い始めてから。サラリーマン人生も半ばを迎え、残りの人生を考えた時、「高校野球に懸けたい」と思った。早速、調べてみると、東京都の教員採用には年齢制限がなかった。反対する家族を説得して挑戦を決めた。

学生時代に教員免許を取っていたが、保健体育の教員試験には、論文と面接のほか、武道とダンス、陸上、球技、器械体操、水泳の六つの課題があった。1600人の受験者のうち、合格者はわずか100人程度という難関。受験者の多くは体育大出身の20代だ。

挑戦する心の支えとなったのは甲子園に出たという自信だ。「どうしたら甲子園に出られるかと、どうしたら教員になれるかは一緒」。しっかり対策を練って全力を傾けた。柔道は講道館がいいと聞けば迷わず通った。ほかの実技も同じだった。43歳で挑んだ1度目の試験は落ちたが、2度目で合格。受験番号を確認できた瞬間は喜びと安堵(あんど)、驚きが入り交じった。

3年間の中学教員を経験し、4月に富士高に赴任。目指していた野球部監督に就いた。3日後には早速、春季関東大会予選の1回戦。ユニホームに袖を通し、ノックバットを握るだけで「うれしくて、うれしくて、たまらなかった」。

富士高は近年、部員不足に悩まされてきたチーム。グラウンドも狭く、内野の守備練習がやっと。グラウンドが使えるのは週2回だけで、ほかの部と共有だ。部員数は新1年生が9人加わって18人になったが、未経験者もいれば、学習塾通いで練習参加が限定的な生徒もいる。「野球が好きな生徒や、好きになってくれそうなら誰でも入れる」という方針だ。

強豪私立高がひしめく東京都で結果を残すのは容易ではない。だが異色の指揮官は「短い練習時間でも甲子園を目指す」と前を見据える。重視するのは「考える野球」と、日立一高時代の恩師・小泉陽一監督の「感謝する野球」。どんなに強い相手でも隙はある。「一喜一憂することなく淡々と」。武道の精神を取り入れ、しっかり野球を学び、施設や練習時間のハンデを補うつもりだ。

練習が休みの火曜日は、周辺の小中学校に「営業」に回る。「地域の野球好きな子供たちを集めて甲子園に行きたい」

東東京大会の抽選会は16日。初挑戦の夏は7月1日開会式を迎える。(小池忠臣)

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