《連載:名将の「遺言」 木内幸男さんを悼む》(上) 取手二、茨城県勢初V導く PL戦、火事場のバカ力 総決算、逃げずに勝負:茨城新聞

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2020年12月2日(水)
《連載:名将の「遺言」 木内幸男さんを悼む》(上) 取手二、茨城県勢初V導く PL戦、火事場のバカ力 総決算、逃げずに勝負


【写真説明】
取手二高を率いて全国制覇を果たし優勝インタビューに答える木内幸男監督=1984年8月21日、甲子園



茨城県勢がこれまでに高校野球の春夏甲子園大会で得た勝利数は81。そのうち、40勝は取手二と常総学院を率いた故・木内幸男元監督(11月24日逝去)がもたらした。「弱小県」からの脱却を掲げ、県のレベルを押し上げた。「野球が好き、子どもたちが好き、そして、勝つことが好き」と語っていた名将が残した言葉は、先を見据えた示唆に富んだ言葉ばかりだ。

1977年7月30日 3度目の茨城大会決勝で土浦日大を破って、取手二初の甲子園出場を決める。「見苦しい負け方をしないことだけを考えていたんですよ。2回とも味気ない決勝戦ばかりやってきた。でもね、今年は負けるとは思わないんだ」

78年8月7日 岡山東商に1-3で敗れる。「(相手は)さすがに野球王国で鍛えられたチーム。(作戦が)読まれていた。一番まずかったのは、勝ちたい気持ちが表に出過ぎたことです。ずいぶん仕掛けてみましたが、うまく打たされた。野球の怖さを知りました」

83年3月27日 初のセンバツ大会の1回戦で、泉州(大阪)に5-6で敗れる。「1年生が多いチームの若さが出てしまった。負けてはしまったが、全国レベルの力に達したと思う。夏までには取りこぼしのないチームに成長するだろう」

83年7月26日 優勝候補でありながら、4回戦で伏兵・佐竹に3-5で敗れる。「普段の大会とは違った異様なムードがあるのが夏の大会。力だけでは勝てない。これで精神力の重要さが分かったはず。2年生は今年と同じ失敗を繰り返さないこと。秋の関東大会は優勝を狙う。センバツは必ず出場する」

83年11月2日 秋季関東大会で、明野を2-0で破り県勢初優勝。「県勢で初めて関東を制したのはうれしい。力はあると思う。春のセンバツは準決勝を狙う」

84年4月2日 センバツ大会準々決勝で岩倉(東京)に3-4で敗れ辞意表明。「きょうの相手は決して負ける相手でじゃない。もう一度やったら必ず勝つよう、いつでもベストコンディションをつくれる選手になってほしい。皆はいい素材だ。しかし、素材だけで野球はできない。きょうまで。皆が俺の野球を卒業した」。その後、慰留され、夏まで指導することになった。

84年7月27日 竜ケ崎一を13-3で破り、春夏連続出場を決める。「目標は国体出場ができる成績を残したい。それには春以上の成績を挙げなければ」

84年8月13日 箕島(和歌山)に5-3で逆転勝ち。「うちは1年生の時から甲子園の土を踏んでいる。みんな甲子園3年生です。箕島は2年生。うちの学年勝ちです」

84年8月19日 鹿児島商工を7-5で破り県勢初の4強。「もう疲れた。準決勝は生徒に伸び伸びやらせ、試合を楽しませてもらいます。きょうは1点ずつ積み重ねてたので、負ける気はしなかった。楽勝のケースだったが、生徒たちに早く試合を終わらせたいという気持ちが働いていた」

84年8月20日 鎮西(熊本)を18-6で破り決勝進出。「私は少しでも勝ち目が多い方とやりたかったが、選手はPLと言っているし、いい相手でしょう。でも、点差があけられるとどうにもならない。とにかく離されずについていきたい。桑田君には打たされるのではなく、こちらの意思で打つ打撃をしたい。男の総決算だからバッテリーには清原君だろうが、絶対に逃げずに勝負させる」

84年8月21日 PL学園(大阪)を8-4で破り悲願の県勢初優勝。「負けて元々の気楽さがあった。それが火事場のバカ力につながったと思う。『桑田なんかに負けない』という気持ちがあった。うちには気の強い選手が多いので。同点にされても、最後の野球だから選手に『長く楽しもうぜ』『何回でもやろうぜ』と話した」




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