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修復記碑を八卦堂へ 「二重床」も公開 弘道館

八卦堂内に戻される「弘道館記碑」=水戸市三の丸1丁目
八卦堂内に戻される「弘道館記碑」=水戸市三の丸1丁目
床が二重になっている至善堂御座の間の「二重床」=水戸市三の丸1丁目
床が二重になっている至善堂御座の間の「二重床」=水戸市三の丸1丁目


水戸市三の丸1丁目の弘道館で、東日本大震災で被災し修復を終えた「弘道館記碑」本体を八卦堂(はっけどう)内部に戻す工事が17日、行われた。堂内の台石に据え付けるなどの作業を経て、31日までに工事を完了する予定。

この日は、木枠で保護した高さ約3・2メートルの記碑本体を、同館敷地内の仮設修復作業場からトラックとクレーン車を使って、約100メートル離れた八卦堂前まで慎重に移動。ジャッキアップされ天地が広がった同堂入り口からレールに乗せ、堂内に運び入れられた。

震災で記碑は、1945年の空襲で入ったひびも影響し、本体下半分が部分的に崩壊。文化庁が3月から修復に取り組んでいた。

全体に見られるひびを含め、樹脂で接着・補強し、剥離面の固定にはボルトを活用。表面から5センチの所で縦にスライスし、間に樹脂を入れることで本体自体を強化した。53年の修復時に補強で使われた背面のコンクリートも除去、ほぼ45年以前の姿に戻った。

文化庁の内田和伸文化財調査官は「(修復や移動は)記碑をさらに壊さないよう細心の注意を払った」と説明、旧弘道館復旧整備検討委員会座長の鈴木暎一県文化財保護審議会長は「平成の大修理として後世で評価されるだろう」と話した。

記碑は水戸藩9代藩主・徳川斉昭が1838年、弘道館教育の基本精神を表した「弘道館記」を刻んだ碑。「神儒、忠孝、文武、学問事業、治教」それぞれの一致をうたっている。

弘道館では被災した正庁と至善堂の修復も進められており、この日は、正庁正席の間と至善堂御座の間に採用され、現存する事例が少ない二重構造の床「二重床」も報道陣に公開された。

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