2018年7月12日(木)

100回目の夏・球児への伝言 (7)
元高校野球監督 木内幸男さん

甲子園こそ最高の場

甲子園通算40勝を誇る木内幸男さん=取手市内
甲子園通算40勝を誇る木内幸男さん=取手市内

本県の高校野球の歴史の中で県勢が甲子園で挙げた勝利数は春夏合わせて81勝。そのうち40勝は取手二と常総学院で指揮を執った木内幸男によってもたらされた。過去3度の全国制覇は全て木内によるもの。だが、名将は数字に関心を寄せない。「子どもたちがやったことですから」

監督の原点は土浦一高3年の夏だ。1950年7月20日、準々決勝・茨城戦。中堅を守っていたときに打球が左中間に飛び、左翼手と交錯した。グラブがボールに触りながら捕球できず、結果はサヨナラ負け。当時は監督がほぼ練習に来ず、主将の木内自らがノックを打っていた。連携不足による敗戦。「後輩に同じ思いをさせたくない」との思いから指導者の道を歩み始めた。

土浦一で6年間指導した後、「女学校」の流れをくむ取手二へ。「男子生徒に誇りを持たせてくれ」と、当時の野球部長に請われた。「『勝ってくれ』と頼まれたわけではなく、人間性を育てる野球だった」と振り返った。

当初は負け続けた。「俺ほど負けた監督もいないだろう。甲子園なんて夢のまた夢でした」。ただ、木内ほど負けず嫌いな監督もいなかった。

「社会人監督だから選手よりも早くグラウンドに行ってグラウンドをならした」。話し言葉は茨城弁丸出し。目線を選手に合わせ、一目置かれる存在になった。「先生だったら話してもらえないようなことを随分話してもらったんだ」

唯一、監督生活の中で自負することは「選手をよく見た」ことだ。取材を受けていても目線は常にグラウンドに。「あいつはカーブ打ちがうまい」「こいつはバントが嫌いだな」。だから作戦がうまくいった。いつしか「木内マジック」と称されるようになった。

77年夏、初めて甲子園の舞台に立った。「勝ってみると、なんだ、甲子園はこんなに近いんだと思ったよ。勝って選手を育てる意識になったら勝てるようになった」

84年夏の甲子園決勝の相手はPL学園(大阪)。相手エースは3連投の2年生桑田真澄(元巨人)だった。「2年生には負けられないぞ」。選手たちの男心をくすぐって深紅の大旗を獲得した。

2003年夏決勝はダルビッシュ有(現カブス)擁する東北(宮城)と対戦。「無死一塁からバントで送っても点は取れない。アウト一つをあげるだけだ。打っていった方が勝機あり」と踏み、選手には「打てば孫の代まで自慢できるぞ」と声を掛け攻略した。

12日で87歳を迎える。監督を退いてから7年がたった。だが、野球が頭から離れることはない。試合を見れば、どうやったらこの投手を攻略できるかを今も考えてしまうという。「野球しかできない人間で、ずっと好きな野球をやってきた。こんな幸せな人生はない」と笑顔を見せた。

100回目の夏が始まった。「監督と選手が一つになったチームは強い。一つになれるよう頑張ってほしい。甲子園こそ最高の場所だ。そこを目指してほしい」(敬称略)(おわり)(この連載は報道部・小池忠臣、矢幡佳那子が担当しました)

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