2018年8月14日(火)

戦後73年 「予科練、憎いが青春」 龍ケ崎の伊藤さん 阿見大空襲の記憶鮮明

予科練の資料に目を通す伊藤稔弥さん=龍ケ崎市
予科練の資料に目を通す伊藤稔弥さん=龍ケ崎市

秋田県出身の元予科練生(甲種15期)、伊藤稔弥(としみ)さん(91)=龍ケ崎市=は、阿見町にあった土浦海軍航空隊で過ごした日々を今も鮮明に記憶している。1945年6月10日の大規模な空襲では、負傷しながらも懸命に仲間の救助に当たった。

▽入隊

予科練は望んだ進路ではなかった。秋田での旧制中学時代、担任の先生の指示で早朝学校に向かうと、行き先も教えられずトラックの荷台に乗せられた。着いた先は海軍航空隊の試験場。「落ちたらぶん殴るぞ」。一言、担任が告げた。

旧制高校への進学を目指していたが、間もなく合格通知が届く。当時、父親は地元の村長だった。「恥はかかせられない」。44年、腹を決め入隊した。

入隊後、数カ月前に受験していた満州建国大学への合格の知らせが届いた。上官に「行きたい」と伝えると、「戦時中に勉強なんかしてどうすんだ」。進学を諦める宣誓書を書かされ、バットで尻を思い切りたたかれた。

▽混乱

45年6月10日、同隊と周辺地区は米軍による大規模な空襲を受けた。

負傷した足を引きずりながらも、道端に倒れている後輩を病舎に運び入れると再び空襲警報。近くの防空壕(ごう)に逃げ込んだ。しばらくして外に出ると病舎は跡形もなかった。

別の場所では、脳みそやはらわたが出ていた仲間を見つけ、それを体の中に戻しながら「しっかりしろ」と声を掛けた。「そうすれば生き返ると思ったんだろう」。現場も自身も混乱を極めた。

▽悼む

終戦後、予科練帰りの若者は「ヨタレン」などと呼ばれ、世間は冷ややかな目を向けた。旧制高校の入学試験では、予科練出身と名乗ると面接官は「どうだった?」とだけ言って面接を打ち切った。見下げた態度が露骨だった。

「予科練が憎かった。それでも、仲間と過ごした予科練は私の青春そのものだった」

大学卒業後、東京地検の事務官を定年まで勤め、退職後に千葉県から本県へ移り住んだ。「失った仲間が眠る場所へお参りに行けるから」。妻に先立たれ現在は1人暮らし。空襲の傷が残る足をさすりながら、つぶやいた。「戦争は残虐だな」 (戸島大樹)

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