2018年9月30日(日)

水戸の有志 目指せ 日新塾復元 幕末期の私塾 年内にも再建委発足

日新塾跡地で当時の様子について説明する小田木正樹さん(右)と加倉井孝臣さん=水戸市成沢町
日新塾跡地で当時の様子について説明する小田木正樹さん(右)と加倉井孝臣さん=水戸市成沢町

江戸時代後期の水戸藩郷士、加倉井砂山が開いた私塾「日新塾」を再建しようと、地元有志が立ち上がった。多くの門下生を輩出した日新塾は、2015年に日本遺産認定を受けたものの、現状では跡地に当時の様子をうかがえる建物がない。このため、住民らは年内にも再建委員会を発足させ、「貴重な歴史資源としての復元を目指す」計画だ。(水戸支社・前島智仁)

■近世で傑出

日新塾は砂山が現在の水戸市成沢町にあった自宅に開いた私塾で、桜田門外の変に参加した斉藤監物や川崎財閥の基礎を築いた川崎八右衛門など多くの門下生を輩出した。約30年間で延べ千人超が学び、「近世の私塾では傑出した存在」(市の担当者)とされている。

当時、敷地内には母屋のほか、塾舎や宿舎として「三楽楼」「有隣館」など複数の建物が存在した。しかし、いずれも1877年の火災で焼失。このうち、母屋については明治期に加倉井家が住居として再建したが、その後に空き家となり荒廃し2004年に解体された。

日新塾は15年に「近世日本の教育遺産群」として、弘道館や偕楽園などとともに認定を受けた。同市の貴重な歴史資源として存在価値を誇るものの、現在は案内板や説明パネルなどが残るにとどまっている。

■10月に初会合

こうした現状を受け、歴史愛好家らの誘客につなげようと、地元住民が復元に向けた取り組みに乗り出した。10月にも今後の具体的な活動内容やスケジュールなどを定める会合を開き、年内には「日新塾再建委員会」を立ち上げる計画だ。

メンバーは歴史専門家や教育関係者などを含む、地元有志ら約20人で構成する予定。発起人の一人、同市成沢町の小田木正樹さん(79)は「地元では以前から復元したいという考えがあった」と指摘。周辺住民の高齢化に思いを巡らせながら「皆が元気なうちに、主要建物の再建を実現させたい」と意気込む。

砂山の功績を伝える目的で1942年に設立した「日新塾精神顕揚会」(東京)も、この動きに注目する。砂山から5代後の子孫に当たり、同会会長を務める加倉井孝臣さん(82)は「ありがたい話。日新塾の意義を後世に伝える必要性は強く感じている。できる限りのことは協力したい」と話す。

■全容つかめず

ただ、復元には多くの課題が残る。市が2004〜10年に計6回にわたり実施した発掘調査では、三楽楼や有隣館の遺構が出ず、正確な位置が判明しなかった。その上、設計図や写真がほぼ残っていないことから、建物の構造も不明なままだ。

また、明治期に再建された母屋の礎石が障害となり、江戸期に存在した母屋の規模などの全容もつかめていない。市歴史文化財課は「明治期の礎石も歴史的な価値があり壊せない。非破壊で土の中を探る新たな技術が開発されないと、江戸期に存在した母屋の確認と復元は難しい」と頭を悩ませる。

一方で、日新塾の周知を促そうと、市は明治維新150年記念事業として、12月に「日新塾講演会」を開催するほか、今後、市少年自然の家にも常設のパネル展示などを行いPRを進めていく。同課は「砂山の功績を伝える取り組みを、積極的に行っていきたい」としている。

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