2018年11月9日(金)

豪華七五三、今は昔 茨城・鹿行、進む簡素化

バブル崩壊やリーマン影響 祝宴、少人数主流に

5歳の七五三で感謝のスピーチをする男児(中央)=神栖市大野原のアトンパレスホテル
5歳の七五三で感謝のスピーチをする男児(中央)=神栖市大野原のアトンパレスホテル

子どもの健やかな成長を祝う七五三。鹿行地域は盛大に祝宴を開くことで知られ、かつては結婚式さながらに豪華に開催されることも珍しくなかった。しかし、近年は50人、100人を集めるような大規模な披露宴はめっきり減り、家族や近い親戚などを集めて少人数で祝う七五三が主流になっている。(行方支局・石川孝明)

■「お色直し」も

神栖市大野原のアトンパレスホテルで、潮来市の男児(5)の七五三を祝う宴会が開かれた。集まったのは、男児の親族ら約20人。一行は鹿島神宮でお参りをした後、ホテルで記念撮影。祝宴の冒頭、本人による感謝のスピーチが行われ、会場は拍手に包まれた。また、和服から洋服に着替える「お色直し」も行われた。父親(30)は、「呼びたい人はもっといたが、相談してこの規模にした」と話した。

男児の祖母(60)は大規模な七五三が盛んに行われていた時代、長女の7歳のお祝いに135人を招いて祝宴を開いた。仲人によるスピーチや祖母との記念撮影、複数回にわたるお色直しなど、3時間近いスケジュールだったという。

「子どもたちが丈夫に育ったことをお披露目するという意味合いがあった。互いにお呼ばれするので、競争するように(大規模に)やっていた部分はあった」と笑った。

■成長お披露目

県立歴史館の林圭史副主任学芸員は七五三について、昔は子どもの事故や病気が多く、無事に成長したことを周囲に知らせる大事な意味があったと指摘。「昭和期は鹿行だけでなく、土浦やつくば地域でも大規模な七五三が行われていたようだ」と紹介した。

神栖市歴史民俗資料館の谷田法子学芸員は「一説には、戦後、鹿島臨海工業地帯の開発が進み、人々の生活が豊かになるにつれ、子どもの成長を豪華にお祝いするようになったとも言われている」と解説した。

アトンパレスホテルによると、10年ほど前まで50人以上を集める七五三の披露宴は珍しくなかったが、年々減少し、近年ほとんど見られなくなったという。同ホテルの1階には御輿(みこし)が飾られており、スタッフの一人は「かつては御輿に子どもを乗せて披露宴に入場した家族もいた。最近はすっかり、御輿の出番が少なくなった」と話した。

潮来市内のホテル経営者は、バブル崩壊を境に大規模な七五三は減り、リーマン・ショック以降、減少に拍車が掛かったと説明。「かつては(初夏の)あやめ祭りと(秋の)七五三は一大イベントで、毎週予約がいっぱいだった。今は状況が変わり、インバウンド(訪日外国人客)など新たなビジネスプランを考えなければならない」と述べた。

■変わらぬ願い

男児の5歳を祝う宴会は約2時間にわたって行われ、会場は笑顔と笑い声が絶えない和やかな雰囲気に包まれた。父親は「祝ってくれる人が大勢いるのは、とてもありがたい。こういった風習は続いてほしい」と話した。この日の“主役”の長男については「勢いよく育ってほしいという意味の名前を付けたので、友達をたくさんつくって、けがや病気をせず、元気に育ってくれたら」と願った。

時代とともに七五三を取り巻く環境やスタイルは変わっても、子どもの行く末を願う気持ちは変わらないに違いない。

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