2019年1月8日(火)

茨城県外で修業、小田医師(32) 救急、過疎地医療担う

常陸大宮 ヘリ乗務生かし奮闘

訪問診療先で患者の女性と談笑する小田有哉医師=常陸大宮市内
訪問診療先で患者の女性と談笑する小田有哉医師=常陸大宮市内

ドクターヘリのフライトドクターとして2年間、茨城県外で“修業”した若手医師が、今度は地上で活躍している。常陸大宮市国民健康保険美和診療所に勤務する小田有哉医師(32)。身に付けた救急医療の技術を生かし、同市内で夜間の「ドクターカー」運行を担うなど、地域医療を支えるため日夜奮闘している。

■山間部訪問

「調子はどうですか? 薬はどのくらい残っているかな」。12月中旬、時間がゆったり流れる同市の山間部。小田さんは訪問診療先で女性患者に語り掛けた。

体調だけでなく、話題はお正月の過ごし方に。「温泉、先生が言うなら行こうかな」。家族の誘いを渋っていた女性がにっこりほほ笑んだ。

山間部は独居老人が多い。診療所の医師は小田さん1人だ。「先生はすごく優しいの」。別の女性患者の言葉に小田さんとの信頼関係がにじむ。同行した看護師は「小田先生はパワフルですよ。けが人が来るほど元気になる」と笑う。

■2年間で264回

小田さんは龍ケ崎市出身。父親が宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究者で、宇宙飛行士になる夢を描いた。「宇宙飛行士は医師出身が多い」。江戸川学園取手高(取手市)から自治医科大(栃木県下野市)に進んだ。

2013〜15年度まで、なめがた地域総合病院(現土浦協同病院なめがた地域医療センター)に勤務。当時、ある交通事故の患者を救えなかった。当直医は小田さん1人。もっと技術があればという思いに加え、いち早く大きな総合病院に転送できる体制が必要と感じた。

「学ぶなら最先端」。救急医療の腕を上げようと、ドクターヘリの先駆けである日本医科大千葉北総病院(千葉県印西市)での研修を希望した。自治医大卒業生は授業料を県に肩代わりしてもらう一方、医療過疎地域で9年間の診療義務を負う。県外研修という前例のない選択。県は当初難色を示す。研修医の指導に当たる県立中央病院(笠間市)の永井秀雄名誉院長に相談し、県の要項が改定され派遣が実現した。

特例が認められたものの、立場は「休職」扱い。給料は「家族を養えるか不安」という水準に激減した。最前線の救急現場に立ち、ヘリ乗務は16〜17年度の2年間で264回を数えた。事故だけでなく銃創を負った患者を診るなどさまざまな現場を踏んだ。

■1分でも早く

18年4月、本県に戻り美和診療所勤務が決まった。人口当たり医師数ワースト2位の本県の中でも医師が少ない地域の一つ。1分でも早く、1人でも多くの患者を救いたいと、勤務後、同じ常陸大宮市内の常陸大宮済生会病院で、救急医療が手薄な夜間帯を埋めるドクターカーに乗り込む。

17年度から試行し、現在は月、水曜の週2日運行。119番から病院到着まで平均1時間弱かかっていた同市消防の搬送時間を14分近く短縮できた。共に支える筑波大の井上貴昭教授は「北総のノウハウを実情に合わせてアレンジしている。熱い医者やね」と小田さんを評する。

「理解ある先生たちに恵まれた。ここでさらに成長したい」と小田さん。“師匠”の関義元・県立中央病院救急科部長の「患者さんのために頭を下げられなくなったら医者を辞めろ」という言葉を胸に刻む。

どんなにつらくても楽しさを伝えられるよう心掛ける。「楽しい職場じゃなかったら、後に続く人が来てくれないでしょう」。母校の校歌にある「医療の谷間へ 灯をともす」を実践しながら。(黒崎哲夫)



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