2019年2月3日(日)

水戸城大手門 瓦塀、大火復興の象徴 市教委が発掘報告 「18世紀後半に構築か」

発掘調査報告会で水戸城大手門の瓦塀について解説した市埋蔵文化財センターの関口慶久所長=水戸市笠原町
発掘調査報告会で水戸城大手門の瓦塀について解説した市埋蔵文化財センターの関口慶久所長=水戸市笠原町

水戸市教育委員会は2日、同市笠原町の市総合教育研究所で、市発掘調査報告会を開き、市埋蔵文化財センターの職員が7遺跡を解説した。センターの関口慶久所長は、水戸城大手門の瓦塀について、「1764年の大火からの復興の象徴と考える」と指摘した。

関口所長は水戸城について、「馬場大掾(だいじょう)氏、江戸氏、佐竹氏、徳川氏と城主が変わるごとに城郭エリアが拡張された。堀や土塁を巡らせ町全体を城域とした。土造りの平山城としては国内最大級」と解説した。

大手門は9月に復元が完了する見通し。発掘調査で大手門に付随する瓦塀を4基確認した。高さは5メートルだった。「瓦塀は全国で類例を発見することはできなかった。おそらく全国の城門でも唯一の特異な構造物だったと考える」と報告した。

構築時期について「製造方法から18世紀後半以降とみられる。この時期には水戸城大火があり、多くの建物が焼失した」と指摘し、「当時の水戸藩は瓦塀にすることを推奨していた記録が残っている。大手門の瓦塀は復興に合わせ荘厳にするため普請されたのだろう。積極的な瓦塀の採用として集大成というべき構造物だ。大火復興の象徴だった」と述べた。

国指定史跡の台渡里官衙(かんが)遺跡群を報告した米川暢敬主幹は「伽藍(がらん)南側に何らかの建物跡が存在した可能性は高い」と指摘した。「1939年から調査が始まり80年にも及ぶ。延べ170次の発掘が行われ、そのたびに新たな知見を得る一方、新たな疑問が浮上している。牛歩ではあっても実態に迫りたい」と覚悟を示した。(清水英彦)

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