2019年11月7日(木)

永井敬司さん(茨城町)死去 98歳 ペリリュー島帰還兵

水戸歩兵第二連隊・ぺリリュー島守備隊の戦没者合同慰霊祭に、当時存命だった戦友と出席した永井敬司さん=2017年11月23日、水戸市見川の県護国神社、鈴木剛史撮影
水戸歩兵第二連隊・ぺリリュー島守備隊の戦没者合同慰霊祭に、当時存命だった戦友と出席した永井敬司さん=2017年11月23日、水戸市見川の県護国神社、鈴木剛史撮影

太平洋戦争で日米の激戦地となったペリリュー島(現パラオ共和国)から生還した元日本兵の永井敬司さん=茨城町小鶴=が4日、同町の病院で亡くなった。98歳。戦後は和菓子店を営んでいた。近年は学校などで「生き証人」として戦争の悲惨さや平和の尊さを訴えていた。

水戸二連隊ペリリュー島慰霊会の影山幸雄事務局長(74)によると、生還者は34人いたが、永井さんが最後の1人だった。23日の慰霊祭に参加する意向を示していたといい、影山事務局長は「大変な苦労をされた人だった」と惜しんだ。

永井さんは1940年に志願し、18歳で水戸市の陸軍第十四師団歩兵第二連隊に入隊した。同年に満州に移り国境警備などに当たった。44年4月にペリリュー島に渡った。

米軍はフィリピン奪還の足掛かりとしてペリリュー島に進軍した。飛行場を獲得するのが狙いだった。

日本軍は1万人だったが、米軍は4万人。過酷な戦闘は44年9月から2カ月半続き、ほぼ全滅した。

永井さんは町の広報紙に「戦場には日本兵と米兵の死体が重なり合っていた。あの光景は今でも脳裏にはっきりと残っている。想像できないほど悲惨な現状だった」と語っていた。

45年8月の終戦後も洞窟などに潜伏し、47年に生還、復員した。本紙の取材に「いつペリリュー島が落ちたのかも分からなかった」と語っていた。

2015年3月に当時の天皇陛下(現上皇)と面会し、「本当に長いことご苦労さまでした」と声を掛けられた。天皇、皇后両陛下は翌月、戦没者慰霊のためパラオを訪問。面会当時について永井さんは本紙の取材に「一生懸命説明した」と答えた。

永井さんは県護国神社で毎秋に開かれる水戸歩兵第二連隊・ぺリリュー島守備隊の戦没者合同慰霊祭にも毎年出席していた。(清水英彦)



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