2020年1月3日(金)

下妻出身の詩人 横瀬夜雨 最晩年の手紙発見

かすみがうら門下生宅 亡き娘へ思いつづる

横瀬夜雨が折本左衛介に書いた手紙とはがき。「独特の字体が見られる」と解説する千葉隆司学芸員=かすみがうら市歴史博物館
横瀬夜雨が折本左衛介に書いた手紙とはがき。「独特の字体が見られる」と解説する千葉隆司学芸員=かすみがうら市歴史博物館

かすみがうら市で空き家になっていた元歌人の住宅から、「筑波根詩人」と呼ばれ大正から昭和初期にかけて詩壇で活躍した下妻市出身の詩人・横瀬夜雨(1878〜1934年)が最晩年に歌人と交した手紙が発見された。娘の死への悲しみや病床の歌人を心配する思いがつづられている。手紙は処分される寸前にかすみがうら市歴史博物館の学芸員が子孫に連絡を取って“救出”。寄贈を受けて、博物館に収納した。同館は「詩人の晩年を知る貴重な資料」と話している。

歌人は同市坂生まれの折本左衛介(1899〜1962年)。1916(大正5)年に作歌を始め、夜雨の門下となり、いはらき新聞歌壇「木星」に投稿して夜雨の指導を受けた。後に雑誌「珊瑚礁」「国民文庫」に作品を発表し続けた。

夜雨は幼少期の病気で身体に障害を負ったが、18歳から雑誌「文庫」を中心に詩を投稿し活躍した。詩壇のほか、13年から木星選者となり、門下生も多い。

今回、折本家資料として手紙や日記、生活関連など1194点が寄贈された。

見つかった手紙は4通。夜雨から33年1月5日〜34年1月2日に送られた3通のはがきと、長い巻物風の手紙1通。夜雨の独特の字体が見られる。

夜雨の長女、糸子が病のため15歳で亡くなり、悲嘆に暮れていた。手紙には「唯一の希望を打ちくだかれたが それでも生きてゐる 夜ごとの枕ハ真にぬれぬことハないのだが」「私の心ハ暗い」とつづる。病床にある左衛介に「君の事を考へる」「君の健康ハ如何」と心配する気持ちも書いた。夜雨は34年2月14日永眠した。

同館の千葉隆司学芸員は「左衛介は夜雨を慕っており、互いに心を通じていたようだ。亡くなる寸前まで親交があったことが分かる」と解説する。

横瀬夜雨記念室を持つ下妻市ふるさと博物館の菊池桃子学芸員は「夜雨は絵もうまく多才な人。今でいうツイッターのように何気ない日常を記し、手紙を多く書いた。病床から送っていた手紙は貴重」と語る。

かすみがうら市歴史博物館では今後研究を進め、同館での展示も検討するという。(綿引正雄)



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