2020年1月8日(水)

境の画家・中山さん 粛粲寶の絵画収集奔走 町ギャラリー展示へ 私財投じ、師匠に恩返し

粛粲寶が使用していた机の中から出てきた作品「菊童子」を掲げる中山正男さん。表具後にギャラリーに展示する考えだ=境町
粛粲寶が使用していた机の中から出てきた作品「菊童子」を掲げる中山正男さん。表具後にギャラリーに展示する考えだ=境町

3月の完成を目指し、境町の中心市街地で整備が進む「S-Gallery(エス・ギャラリー)仮称」。建築家の隈研吾(くまけんご)氏が手掛ける建物として注目を集める中、ギャラリーに展示する粛粲寶(しゅくさんぽう)(1902〜94年)の作品収集に奔走する画家がいる。唯一の弟子で粛粲寶から「胡牀庵青空子(こしょうあんせいくうし)」の雅号をもらった中山正男さん(79)=町内在住=で、私財を投じて師匠へ恩返しをしている。

小学校の頃から絵を描くのが好きだったという中山さん。当時、高価だった紙は買ってもらえず、石版や塀にろう石を使って絵を描いた。働きながら独学で絵を学んでいた20代の頃、一つの間違いが運命的な出会いをもたらした。

それは、パスポートを取得するため東京・有楽町に向かっていた中山さんが、電車を乗り間違え、銀座をうろうろしていたときに偶然目にしたデパートの絵画展。「自分が描きたい画風に合致した」と見入ったのが日本画家、粛粲寶の個展だった。

一目ぼれし、「自分を描いてくれ」とマッチ箱に金を入れて送ったが固辞され、30分にわたって電話で説教された。互いの第一印象は良くなかったが、粛粲寶の長男と同じ1940年生まれの青年に作品を評価されたことや熱意が買われ、65年から親交が始まった。

中山さんの方が38歳年下ではあったが、互いに“知友”と認め合い、「自分の息子だったら良かった」と言われるほど絆を強めていった。

その一方で、粛粲寶は画家として作品を大々的にアピールすることもなく、親戚や家族からは「変わり者」と見なされ、疎遠になっていた。75歳を過ぎると画室で作業に没頭し、食事や病院に行くとき以外は部屋を出なかったという。89年に中山さんを頼って東京都杉並区久我山から境町に転居。94年に91歳で亡くなるまでの6年間、生活をサポートした。

今回のギャラリー開設を前に、古美術鑑定家でもある中山さんは、師匠から譲り受けたものを整理し表具するとともに、九州から北海道まで幅広く点在する粛粲寶の作品を探し求め、プロの目利きで厳選、落札している。「これまで稼いだ金がどんどんなくなっていく」と苦笑しながらも、館内には掛け軸や篆刻(てんこく)などを30点から50点ほど常設展示する予定で、定期的に展示作品を入れ替える考えだ。

中山さんは「粛粲寶を知らない人も多い。子どもや子育て中の家族にギャラリーに足を運んでもらうためにも、境町の古墳や出土品の映像を館内で見てもらうなど、さまざまな工夫をしていきたい」と話している。(小室雅一)



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