茨城県陶芸美術館「幻の横浜焼・東京焼」 高浮彫、細密描写の装飾
江戸時代末期の横浜港の開港(1859年)をきっかけに、横浜と東京で作られ、海外に送られた輸出陶器の世界に触れる企画展「神業(かみわざ)ニッポン 明治のやきもの 幻の横浜焼・東京焼」が、笠間市の茨城県陶芸美術館で開かれている。宮川香山、井上良斎らをはじめとする陶磁の担い手たちによる意匠と技を凝らした独創的な作品145件が、近代黎明(れいめい)期の陶芸シーンを浮かび上がらせている。
同展は、この分野で屈指のコレクター、田辺哲人氏(横浜市)の所蔵品を柱に構成。全国5カ所で開催され、同美術館は3会場目。
明治期、陶磁器は日本の重要な輸出品だった。横浜と東京には、多くの陶工や画工、製陶所が集う一大窯業地が形成された。同展では、それらを発信地にちなみ「横浜焼・東京焼」と名付けて紹介している。
展示の導入部には、両巨頭とも言える宮川香山(横浜焼)と井上良斎(東京焼)の「高浮彫(たかうきぼり)」の作品が並ぶ。香山の「高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒大香炉」にはちゃめっ気あるポーズの猫。良斎の「高浮彫雲龍花瓶」には荒々しい雲龍文が盛り上がるように装飾されている。同美術館の飯田将吾学芸員は「立体的な高浮彫の装飾は、明治陶芸の特色の一つ」という。
窯業地といっても、横浜と東京は原料産地ではなかった。陶土などは他産地のものを使い、白素地の器まで瀬戸(愛知県)などから取り寄せて活用する場合も少なくなかった。横浜焼・東京焼は、装飾の部分にこそ、真骨頂が発揮された。
高浮彫や細密描写など、現代から見ると、装飾過剰とも見える作風も多い。だが、それは実は海外からの需要の反映だった。東京薩摩を掲げた陶工、成瀬誠志の「色絵人物文足付香炉」には、金彩を使い、器面を覆い尽くすほどの細かい絵付けがある。輸出陶磁器の系譜に薩摩焼風があるのは、「徳川幕府時代に参加したパリ万国博覧会(1867年)で、薩摩藩の薩摩焼が人気を博した」(飯田学芸員)成功体験が背景にある。
国内に実物が少ないため、“幻の陶芸”といわれていた明治期の輸出陶磁器。それが2008年の田辺氏のコレクション発表を機に少しずつ研究が進んだ。
会期は6月28日まで。月曜休館。入館料一般730円など。問い合わせは同館(電)0296(70)0011。
同展は、この分野で屈指のコレクター、田辺哲人氏(横浜市)の所蔵品を柱に構成。全国5カ所で開催され、同美術館は3会場目。
明治期、陶磁器は日本の重要な輸出品だった。横浜と東京には、多くの陶工や画工、製陶所が集う一大窯業地が形成された。同展では、それらを発信地にちなみ「横浜焼・東京焼」と名付けて紹介している。
展示の導入部には、両巨頭とも言える宮川香山(横浜焼)と井上良斎(東京焼)の「高浮彫(たかうきぼり)」の作品が並ぶ。香山の「高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒大香炉」にはちゃめっ気あるポーズの猫。良斎の「高浮彫雲龍花瓶」には荒々しい雲龍文が盛り上がるように装飾されている。同美術館の飯田将吾学芸員は「立体的な高浮彫の装飾は、明治陶芸の特色の一つ」という。
窯業地といっても、横浜と東京は原料産地ではなかった。陶土などは他産地のものを使い、白素地の器まで瀬戸(愛知県)などから取り寄せて活用する場合も少なくなかった。横浜焼・東京焼は、装飾の部分にこそ、真骨頂が発揮された。
高浮彫や細密描写など、現代から見ると、装飾過剰とも見える作風も多い。だが、それは実は海外からの需要の反映だった。東京薩摩を掲げた陶工、成瀬誠志の「色絵人物文足付香炉」には、金彩を使い、器面を覆い尽くすほどの細かい絵付けがある。輸出陶磁器の系譜に薩摩焼風があるのは、「徳川幕府時代に参加したパリ万国博覧会(1867年)で、薩摩藩の薩摩焼が人気を博した」(飯田学芸員)成功体験が背景にある。
国内に実物が少ないため、“幻の陶芸”といわれていた明治期の輸出陶磁器。それが2008年の田辺氏のコレクション発表を機に少しずつ研究が進んだ。
会期は6月28日まで。月曜休館。入館料一般730円など。問い合わせは同館(電)0296(70)0011。