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《戦後75年》予科練 語り継ぐ戦争の記憶

海軍士官に親しまれた料亭「霞月楼」のびょうぶに残る寄せ書き。戦地に赴く隊員たちが書いたと伝わる。左上方には「死生一如(しせいいちにょ)」の文字も=13日、土浦市中央
海軍士官に親しまれた料亭「霞月楼」のびょうぶに残る寄せ書き。戦地に赴く隊員たちが書いたと伝わる。左上方には「死生一如(しせいいちにょ)」の文字も=13日、土浦市中央
陸上自衛隊土浦駐屯地(土浦海軍航空隊跡地)内にある雄翔館には戦死した予科練生たちの遺影が並ぶ=21日、阿見町青宿
陸上自衛隊土浦駐屯地(土浦海軍航空隊跡地)内にある雄翔館には戦死した予科練生たちの遺影が並ぶ=21日、阿見町青宿


戦後75年。霞ケ浦海軍航空隊と土浦海軍航空隊。旧海軍の二つの航空隊が置かれていた阿見町とその玄関口となった土浦市には、戦争の記憶を今に伝える品や遺構などが多く残されている。

14〜17歳の少年を全国から選抜し、航空機搭乗員の基礎訓練を行う海軍飛行予科練習(予科練)教育。その最重要拠点となった土浦海軍航空隊の隊員の中には、特攻隊として出撃した者も少なくなく、若い命が犠牲になった。

海軍士官がよく訪れたという土浦市の料亭「霞月楼」には、隊員が書き残したとされる寄せ書きが残る。土浦海軍航空隊の跡地で現在の陸上自衛隊土浦駐屯地内にある雄翔館には、戦死した予科練生の遺書や遺品などが展示されている。

予科練平和記念館(阿見町)の歴史調査委員で戦争体験の語り部でもある戸張礼記さん(91)は、16歳で土浦海軍航空隊に入隊、予科練生となった。その後、青森県の部隊に転隊。敵の戦車に地雷を仕掛けて自爆する特攻訓練のさなかに終戦を迎えた。「死ぬために生まれた者などいない。戦争は人災。止めることができるはずだ」。生死の境界に立った戸張さんの言葉には、二度と戦争の悲劇を繰り返すまいという、揺るがない意志が込められている。

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