2020年9月17日(木)

菅新首相 「政治の師」梶山静六氏と強い絆 「今も思い出深く」

梶山静六氏の墓前に初入閣の報告をする菅義偉総務相(右)。左は梶山弘志国交政務官(肩書きはいずれも当時)=2006年9月30日、常陸太田市内
梶山静六氏の墓前に初入閣の報告をする菅義偉総務相(右)。左は梶山弘志国交政務官(肩書きはいずれも当時)=2006年9月30日、常陸太田市内

菅義偉新首相が誕生し、新内閣が発足した。菅氏は、常陸太田市出身の梶山静六元官房長官を「政治の師」と仰ぐ。菅氏は、梶山氏の墓参りにたびたび訪問し「人生の節目には必ず来ている」と語る。自民党総裁選告示後の今月10日には、全国の地方議員との「リモート対話集会」で梶山氏の教えを語り、「非常に今も思い出深く思っている」と強い絆をにじませた。

■教え
「政治家は国民の食いぶちをつくるのが仕事。どのような産業が育つのか先手を打って、国民が仕事に就くことができるものをつくれ」「官僚の説明だけを聞くな。学者やマスコミ、経済人の話も聞いて自分で判断して仕事をしろ」

1996年、菅氏が衆院選で初当選した後に、梶山氏にあいさつした際に言われた教えだ。菅氏は心に刻み込まれた師の言葉を、総裁選の活動の中で若手議員や党員に伝えた。

菅氏は秋田県出身。高卒で上京し、法大卒後に横浜市が地盤の小此木彦三郎元建設相に秘書として仕えた。政治の道を志したきっかけだ。横浜市議を2期務め、96年に神奈川2区から衆院初当選した。

一方、梶山氏は「竹下派七奉行」の一人として、自民党幹事長や官房長官、通産相、自治相などの要職を歴任した。

98年の総裁選で菅氏は、小渕恵三氏を担ぐ小渕派の方針に背き、新人ながら梶山氏擁立に奔走。梶山氏の同派離脱に従った。梶山氏は予想を上回る100票以上を獲得し、小渕氏に次ぐ2位と善戦した。

■背中
梶山氏の秘書を務めた下路健次郎県議は「小此木彦三郎先生と先代(梶山氏)は盟友だった」と振り返る。「先代は3選を狙った衆院選で落選して『ただの人』となり、そこから苦労して当選を重ねた。直接の師弟関係ではないが、菅さんは秘書時代からずっと先代の背中を見てきた」と話す。

梶山氏は2000年に74歳で死去。菅氏は節目節目で常陸太田市に墓参する。

第1次安倍政権が誕生した06年、総務相として初入閣した際は「あの(1998年の)総裁選で学んだ経験が実った」と語り掛けた。官房長官に就任した2013年は「梶山先生のような官房長官になる。政治で物事を変えられると教えてくれた人。同じ官房長官としてそれを実現させたい」と誓った。17年は、第3次安倍改造内閣の安定運営を墓前で決意した。

■後押し
墓参に毎回付き添うのは梶山氏の長男で衆院議員の弘志氏。17年、地方創生担当相として初入閣し、19年10月からは経済産業相を務める。

菅氏は、弘志氏との関係も深い。自民県連会長の弘志氏は、17年8月の知事選に新人の大井川和彦氏を擁立。菅氏も官房長官として後押しし、大井川知事誕生の立役者の一人になった。知事選を控えた同年4月、菅氏は水戸市内で県連の講演会に出席。「茨城を変える大井川和彦に全力で支援をお願いします」と述べ、深々と頭を下げた。

また、元衆院議員(茨城5区)の岡部英男・元県建設業協会長とは衆院当選同期だった。岡部氏の叙勲祝賀会や胸像建立式で来県。今年2月、岡部氏の告別式では、梶山氏を共に応援した思い出を振り返りながら「故郷茨城のために生涯尽くされた」と弔辞でしのんだ。

梶山静六氏
梶山静六氏


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