2020年11月25日(水)

木内幸男さん死去 高校野球・名監督、甲子園で3度優勝 89歳

死去した木内幸男さん
死去した木内幸男さん

高校野球で取手二高、常総学院高の監督として春1度、夏2度の甲子園大会優勝を成し遂げた木内幸男さんが24日午後7時5分、肺がんのため取手市内の病院で死去した。89歳だった。

1931年7月12日生まれ、土浦市出身。土浦一高卒。同校でコーチを経て53年に監督就任。57年から取手二高の監督に就いた。77年夏に甲子園初出場、1回戦で掛川西高(静岡)を破って初勝利を飾った。

53歳だった84年夏は2回戦で箕島高(和歌山)に逆転勝ちすると、勢いに乗った。

決勝は桑田真澄、清原和博を擁したPL学園高(大阪)と対戦。いったん追い付かれる苦しい展開だったが、延長戦の末、8-4で勝ち、茨城県勢初の甲子園大会優勝に導いた。

同年秋に常総学院高の監督に就任。87年春に同校初の甲子園出場を果たし、同じ年の夏は、現常総学院高監督の島田直也投手を擁し準優勝を果たした。94年春にも準優勝を果たすと、2001年春には県勢初の選抜大会制覇を成し遂げた。

大会後の勇退を表明し、72歳で臨んだ03年夏は、決勝でダルビッシュ有の東北高(宮城)を破って自身3度目となる甲子園の頂点に立ち、有終の美を飾った。

07年に監督に復帰し、80歳の11年まで務めた。

甲子園に春7度、夏15度出場し、歴代7位の通算40勝を挙げた。甲子園通算成績は59戦40勝19敗。

練習から選手一人一人を観察して能力を引き出し、そのときの状況によってセオリーにこだわらず、変幻自在に戦術を変えていく采配は「木内マジック」と呼ばれた。

84年夏の決勝では、1点リードで迎えた九回裏に追い付かれた後、エース石田文樹を右翼に移し、1死後に再びマウンドに戻すワンポイントリリーフで流れを変えた。

教え子でプロ野球選手は元阪神監督の安藤統男のほか、松沼博久、雅之兄弟、仁志敏久、金子誠の各氏ら。茨城アストロプラネッツ前監督の坂克彦、日本製鉄鹿島監督の中島彰一、現常総学院監督の島田、土浦日大高監督の小菅勲、常総学院高前監督の佐々木力の各氏など県内で指導者として活躍する教え子も多い。

島田監督(50)は「ショック。監督みたいにはなれないが、目標とされ、愛される常総学院にしていきたい」と語った。

茨城新聞社の取材に応じる木内幸男さん=2018年6月15日、取手市内
茨城新聞社の取材に応じる木内幸男さん=2018年6月15日、取手市内


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