常総線暴走事故30年 被害者、今も祈る安全 関東鉄道、教育と対策徹底 茨城

ブレーキが利かず暴走、取手駅駅ビルに激突した関東鉄道常総線の車両=1992年6月2日、同駅
ブレーキが利かず暴走、取手駅駅ビルに激突した関東鉄道常総線の車両=1992年6月2日、同駅
関東鉄道常総線の列車が暴走し、茨城県取手市の取手駅ビルに激突し死者1人負傷者251人を出した事故から2日で30年を迎える。被害者は今でも当時の状況を鮮明に思い浮かべ、「安全を最優先に」と願う。関東鉄道(土浦市)は、事故を教訓とした安全対策に取り組み続けている。

■死を覚悟
「もうダメかもしれないと思った」。当時、事故に遭遇した取手市の会社員、荒原政徳さん(62)は、自宅近くを通る常総線を見ながら振り返った。

都内の企業に勤め、当日は普段通り午前7時50分過ぎ、寺原駅で1両目の1番ドアから乗車した。翌日は幼かった長男の誕生日。「仕事帰りに何のプレゼントを買おうか」と考えていた。

異常を感じたのは次の西取手駅。停車後になかなか発車せず、運転士が車両の下に向かった。「プシュー」という音がして、列車は少し後退して停止。運転士が戻って再び動き出した。列車は取手駅に向かう下り坂で、なぜか速度を上げた。運転士が取り乱した様子でさまざまな機器に触れていた。緊急事態と悟った。

「ブレーキが利きません。なるべく後方の車両に移動してください」。車内にアナウンスが響いた。1両目の乗客は慌てて2両目に向かおうとした。通勤通学の時間帯。定員約500人の4両編成に約900人が乗っていた。JR常磐線に乗り換えやすい最前方にいた荒原さんは、数メートルしか後退できず、死を覚悟した。

衝撃の瞬間は覚えていない。暗闇の中、無我夢中で列車から降りた。駅ビルには軽油の臭いが漂い、わめき声も響いていた。人の流れに沿って、階段から屋外広場へ。軽油と水でぬれた黒いスーツは、周りの乗客と摩擦したからか、至るところがめくれて傷んでいた。

通行人の男性から「病院に行った方がいい」と言われ、左目が腫れているのに気付いた。東取手病院に運ばれ、精密検査。約1週間入院した。

■現在も心に傷
1992年6月2日午前8時10分ごろ発生した事故から30年。荒原さんは事故後も常総線を利用した。「今はネガティブな感情はない」とした上で、「利便性も大事だが、安全第一で頑張ってほしい」と切に願う。

同市の片岡敏光さん(75)は、肋骨(ろっこつ)にひびが入るなどして、約2週間入院した。「入院先にも自宅にも足を運んでもらい、誠意は見せてもらった」と関鉄の姿勢を評価しつつ、「教育制度はしっかり整備してほしい」と指摘した。

現在も心に傷を残す被害者もいる。当時22歳の次女が膝を負傷した同市の女性(86)は、「娘は今でも思い出したくないと思う」と語った。事故から数年間は同線に乗らず、両親が千葉県の会社まで車で送迎していたという。

■人、設備に原因
事故の直接的な原因は、運転士と車掌の注意義務違反だった。西取手駅でブレーキが解除できなくなった際の対処で、常用ブレーキと保安ブレーキの圧力空気が排出され、両ブレーキとも作動できない状態になった。こうした応急処置をした場合、作業基準などで定めた「制動試験」が必要だが、遅延に気を取られ、試験をせずに運転再開した。

当時の車両はJRなどからの払い下げが多く、製造から20年以上がたって故障が頻発。事故の遠因には設備投資の遅れという側面もあった。

関鉄の和田務運転車両課長は「会社全体の問題と捉え、安全教育や設備投資をしてきた」と話す。93年以降、毎年5月27日から6月2日を「特別安全総点検」と定めて安全教育を実施。年4回の「運転事故防止推進本部会議」では、自社と同業他社の事故を分析し再発防止に生かす。93年から2019年までの間、車両40両を更新してきた。

北村恵喜取締役鉄道部長は「人の命やけがは取り返しがつかない。30年前の事故を一生抱えながら、鉄道の仕事をしていく」と誓った。

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