考古学者・大塚初重さん死去 虎塚古墳「地域の宝に」 茨城県内に功績、悼む声

ひたちなか市埋蔵文化財調査センターの虎塚古墳石室のレプリカを背にした大塚初重さん=2011年11月
ひたちなか市埋蔵文化財調査センターの虎塚古墳石室のレプリカを背にした大塚初重さん=2011年11月
虎塚古墳の見学者に説明する大塚さん(手前)=1973年9月、いずれも同市教育委員会提供
虎塚古墳の見学者に説明する大塚さん(手前)=1973年9月、いずれも同市教育委員会提供
日本の考古学研究をけん引し、幾何学文様の彩色壁画で知られる「虎塚古墳」(茨城県ひたちなか市中根)を発掘した考古学者で明治大名誉教授、大塚初重(はつしげ)さんが先月21日に亡くなった。95歳だった。発掘調査するだけでなく、市民に公開することで「身近な存在」「地域の宝」として根付かせた虎塚古墳の功労者だ。茨城県考古学に広く関わり、教えを受けた研究者も多い。茨城県内関係者から「地域との関わりを大切にしてくれた」と追悼の声が相次いでいる。

■彩色壁画に歓声
大塚さんは登呂遺跡(静岡市)をはじめ、綿貫観音山古墳(群馬県高崎市)など数々の遺跡の発掘調査に関わり、戦後の日本考古学の礎を築いた。東京都出身。2005年、瑞宝中綬章を受章した。

県内でも、127基ある宮中野(きゅうちゅうの)古墳群(鹿嶋市)や三昧塚(さんまいづか)古墳(行方市)、佐自塚(さじづか)古墳(石岡市)など多くの発掘調査に関わった。中でも勝田市(現ひたちなか市)の市史編さん委員、虎塚古墳の調査団長として力を尽くした。

虎塚古墳の壁画が発見されたのは、1973(昭和48)年9月12日。午前11時過ぎ、報道関係者や地元住民ら約100人が固唾(かたず)をのんで見守る中、前方後円墳(全長56・5メートル)の石室の扉が開けられた。内部の朱色の壁画が見えると、大きな歓声が上がった。

古墳は7世紀初頭に造られ、石室の内壁3面に円文をはじめ、かぶと、太刀、舟などさまざまな文様がベンガラ(酸化鉄)で色鮮やかに描かれ、県内外で大きな関心を呼んだ。

当時、大塚さんは「副葬品は多いと思っていたが、壁画は全く予想していなかった」と驚き、彩色壁画の発見は東日本では初めてではないかと話した。

■見学者12万人超
大塚さんは市関係者と相談し、壁画を一般公開することにした。閉鎖的になりがちな研究成果を多くの市民に見てもらい、文化財保護への理解を深めてもらうためだった。

初公開は、発見から1週間後の9月19日。午前中は市内の子どもたちに、正午からは市民に公開した。

当時の様子を本紙「いはらき」が報じている。身を乗り出して壁画を見る見学者の写真とともに、「一万人を越す考古学ファンや市民らがつめかけ、約千三百年前の壁画と対面、あまりのすばらしさにため息がもれていた」との記事で、関心の高さを伝えた。

古墳は翌年、国指定史跡となった。壁画の一般公開は春と秋の年2回行われ、80年から現在も続く(コロナ禍は中止)。石室内部の見学者は、延べ12万3355人に上る。

■「先」見ていた
訃報を受け、茨城県関係者から追悼の声が相次ぐ。

大塚さんの調査方針について「地域との結び付きを大切にしていた」と話すのは、元同市職員で、市史編さんを担当した平野伸生さん(80)=ひたちなか市。「調査前には、発掘する土地の持ち主や関係者にあいさつに行っていた」と振り返り、「虎塚古墳の保存は、市や地域住民と一体で進める考えだった。盛んに『自治体と一緒に関わっていかなければ』と話していた」と証言した。

虎塚古墳発掘調査団の副団長で元教員、川崎純徳さん(84)=水戸市=は「遺跡に対する基本的姿勢が(他者と)違う。先を見ていた」と語る。「撮影する時は『あと30センチ掘れば、影がない良い写真が撮れる。写真は永久に残るから、あと30センチ掘るんだ』と言っていた」と懐かしんだ。

大塚さんは古墳整備に関する会議があるたび来県。65年の付き合いだった川崎さんは「帰りの電車に乗る前、勝田駅前でよく一緒に酒を飲んだ。楽しかった」と人柄をしのんだ。

最近の記事

ニュース一覧へ

全国・世界のニュース