《連載:鉄道開業150年 茨城の軌跡》(2) 廃線 水浜電車 県都を象徴

水戸市大工町1丁目を走る水浜電車=1961年(同市立博物館提供)
水戸市大工町1丁目を走る水浜電車=1961年(同市立博物館提供)
水門橋に残る水浜電車の軌道線跡(写真の一部を加工しています)=水戸市柳町
水門橋に残る水浜電車の軌道線跡(写真の一部を加工しています)=水戸市柳町
■時代の変化、まちに名残

水戸市の中心街で、電車が道路の真ん中を走っていた時代がある。同市と茨城県大洗町は昭和初期から中期、「水浜電車」という路面電車で結ばれていた。総距離は20・5キロ、全線が単線だ。水戸駅からやや東の浜田から、大洗の磯浜までの8・7キロが1922年に開業した。今年はそれから100周年に当たる。

路線は順次延伸。30年には水戸が上市地区の袴塚、大洗側は湊(現ひたちなか市)まで延びた。通勤通学だけでなく、偕楽園(水戸市)の観光や海水浴での利用も盛んだった。50年代には年間800万人前後の乗車人員を記録した。

■生活に不可欠

水戸市内で古書店を営む中川英治さん(74)は、水浜電車を利用した一人だ。水戸の銀杏坂にあった自宅から、浜田小に通うため毎日乗った。「いつもすごく混んでいた」と振り返る。

乗客が入り切れず、デッキにしがみつく人や窓から乗り込む人もいたという。「小学生の頃は車内の奥まで優先的に入れてくれた」と懐かしむ。早朝に籠を背負い、大洗から水戸の街に魚を売りに来るたくさんの人がいたのを覚えている。「移動だけでなく、人々の生活に水浜電車は欠かせないものだった」

中川さんの知人で同市の河村広行さん(62)も「デパートの帰りに見た電車が、今でも印象に残っている」と語る。

■車、バスの増加

水浜電車は60年ごろから、増加する車やバスの影響を受けた。単線で行き違いに時間がかかる。運営会社はバス事業に力を入れていた。65年6月に上水戸-水戸駅前間の運行を廃止。翌66年6月に水戸駅前-大洗間が廃止となり、完全に姿を消した。

中川さんは廃止を車内の貼り紙で知った。「すごくがっかりした。街からガタン、ガタンという音が消えたことが寂しかった」

県内ではこの後、2000年代にかけて廃線が相次いだ。JR常磐線土浦駅と水戸線岩瀬駅を結ぶ筑波鉄道筑波線(1918年開業)が87年に廃止。日立市と常陸太田市をつないだ日立鉄道線(1928年開業)が2004年に幕を下ろした。常磐線石岡駅から鉾田まで結んだ鹿島鉄道線(1924年開業)は2007年に運行を終えた。

中川さんは現在、よく宇都宮市を訪れる。次世代型路面電車(LRT)の開業が予定されているからだ。

■根強い人気

富山市などの成功例を受け、広がりを見せるLRT。中川さんは宇都宮がうらやましく感じる。「今でも水浜電車が走っていてほしかった。路面電車は街のシンボル。風景として根付く。路面電車があるだけで観光的な魅力もある」

中川さんは、倉庫整理で見つけた当時の写真や資料を、店のツイッターに投稿している。水浜電車の写真は、たくさんの反応が返ってくる。懐かしむ声だけでなく、当時と現在の風景を比較して楽しむ声もある。ファンが多かったのだと改めて気付かされた。

「路面電車が再び注目されていることは、街に良い影響を与えると思う。もう鉄道がなくなってほしくない」。中川さんは願う。

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