【うつろ舟 伝説の今】 (上) 《連載:うつろ舟 伝説の今》(上) 謎の女性、金色姫か 新史料で浮かぶ「養蚕」


茨城県に伝わる江戸時代の「常陸国うつろ舟奇談」。ベールに包まれた伝承を巡り、近年、関連史料が県外で新たに複数確認された。研究者は養蚕信仰の「金色姫(こんじきひめ)伝説」との類似性に着目し、一定の結論を見いだした。物語の謎に迫る研究が深化していた。
「研究するほど、養蚕信仰との関連が色濃くなる。うつろ舟の女性の描写が蚕の特徴に重なる」
うつろ舟研究の第一人者、岐阜大の田中嘉津夫名誉教授(75)が今、最も注目するのが、伝説に登場する女性の衣服などの描写と蚕との関連性だ。
これまでも、うつろ舟伝説と金色姫伝説は内容が似ているとされてきた。田中氏は新たに確認された史料に、女性の容姿に関する記述と養蚕技術との共通点を見いだし、謎の解明へ仮説を立てた。
■漂着の年に記述
うつろ舟の関連史料は、県内では2012年に日立市で確認されたのが最後。一方、この10年間に全国で数点の史料が見つかり、漂着地の具体的地名として、現在の神栖市波崎の「舎利浜」が浮上した。
さらに最近新たに確認されたのは、上越市公文書センター(新潟県)が昨年公表した「異聞雑著」(榊原家文書、高田図書館所蔵)。著者の浣花井は18世紀後半、高田藩の藩主、榊原政永の下で財政建て直しを主導した鈴木甘井(かんせい)とされる。
うつろ舟伝説によると、常陸国の海岸に1人の女性を乗せた、UFO(未確認飛行物体)のような奇妙な形状をした舟が漂着したとされるのが1803(享和3)年。新史料はこの年に書かれていた。
内容は、他の史料と同様のあらすじで、UFO似の物体、外国人風の女性、さらには研究者の間で「宇宙文字」と呼ばれる暗号のような文字・記号がやはり記されていた。
従来の史料には、女性の衣服のボタンについて「ねり玉青し」「小はぜスイセう(すいしょう)」などの記述が見られる。新史料では「アヲ色ニテ子(ね)リモノ」とある。女性は脚が横しま模様で描かれ、頭には白いベールのようなものをかぶっている。
蚕の卵は、ふ化直前に青く透ける。一斉にふ化させる技術は催青(さいせい)と呼ばれる。田中氏は「服のこはぜ(ボタン)の形や練り物(材質)は蚕の卵に見立てることができ、それぞれの記述は養蚕につながる」とみる。
例えば、脚のしま模様は蚕の幼虫のしま模様、白いベールは生糸の神秘性、記述された「眉毛赤黒く」は「繭」を連想させ、「(女性は)蚕の化身の金色姫を思わせる」と関連付ける。
■帯の結びも共通
金色姫伝説は、うつろ舟の漂着地とされる現在の神栖市に伝わる。
同市日川には、養蚕信仰の本尊である蚕霊尊(金色姫)を祭る星福寺と蚕霊神社が存在する。常陸国の浜に天竺(インド)の姫が流れ着き、養蚕技術をもたらしたという伝説が残る。
2010年に発見された史料「水戸文書」でも、女性の衣服の帯と星福寺の蚕霊尊の帯の結び方の共通性が指摘されていた。
「南総里見八犬伝」の作者として知られる滝沢馬琴は、星福寺が発行したお札を見て、蚕霊尊である衣襲(きぬがさ)明神の錦絵に文章を書いており、1825年には奇談集「兎園小説」でうつろ舟を紹介している。
新史料で、うつろ舟伝説と養蚕信仰の関連が色濃くなったとして、田中氏は中京大先端共同研究機構文化科学研究所が来春発行予定の「文化科学研究」に論文を発表する。「仮説だが、間違いないと思っている」
★常陸国うつろ舟奇談
江戸後期の1803年、円盤のような乗り物が現在の神栖市の海岸に漂着し、中から不思議な服装をした女性1人が箱を抱えて現れたとされる伝承。これまでに滝沢馬琴「兎園小説」、長橋亦次郎「梅の塵」など14編の古文書で確認されている。伝説の概要、円盤状の乗り物、箱を抱えた女性、「宇宙文字」と研究者が呼ぶ暗号のような文字などの記述はほぼ共通する。民俗学者の柳田国男が注目して論文を書き、小説家の澁澤龍彦も作品のモチーフとした。
「研究するほど、養蚕信仰との関連が色濃くなる。うつろ舟の女性の描写が蚕の特徴に重なる」
うつろ舟研究の第一人者、岐阜大の田中嘉津夫名誉教授(75)が今、最も注目するのが、伝説に登場する女性の衣服などの描写と蚕との関連性だ。
これまでも、うつろ舟伝説と金色姫伝説は内容が似ているとされてきた。田中氏は新たに確認された史料に、女性の容姿に関する記述と養蚕技術との共通点を見いだし、謎の解明へ仮説を立てた。
■漂着の年に記述
うつろ舟の関連史料は、県内では2012年に日立市で確認されたのが最後。一方、この10年間に全国で数点の史料が見つかり、漂着地の具体的地名として、現在の神栖市波崎の「舎利浜」が浮上した。
さらに最近新たに確認されたのは、上越市公文書センター(新潟県)が昨年公表した「異聞雑著」(榊原家文書、高田図書館所蔵)。著者の浣花井は18世紀後半、高田藩の藩主、榊原政永の下で財政建て直しを主導した鈴木甘井(かんせい)とされる。
うつろ舟伝説によると、常陸国の海岸に1人の女性を乗せた、UFO(未確認飛行物体)のような奇妙な形状をした舟が漂着したとされるのが1803(享和3)年。新史料はこの年に書かれていた。
内容は、他の史料と同様のあらすじで、UFO似の物体、外国人風の女性、さらには研究者の間で「宇宙文字」と呼ばれる暗号のような文字・記号がやはり記されていた。
従来の史料には、女性の衣服のボタンについて「ねり玉青し」「小はぜスイセう(すいしょう)」などの記述が見られる。新史料では「アヲ色ニテ子(ね)リモノ」とある。女性は脚が横しま模様で描かれ、頭には白いベールのようなものをかぶっている。
蚕の卵は、ふ化直前に青く透ける。一斉にふ化させる技術は催青(さいせい)と呼ばれる。田中氏は「服のこはぜ(ボタン)の形や練り物(材質)は蚕の卵に見立てることができ、それぞれの記述は養蚕につながる」とみる。
例えば、脚のしま模様は蚕の幼虫のしま模様、白いベールは生糸の神秘性、記述された「眉毛赤黒く」は「繭」を連想させ、「(女性は)蚕の化身の金色姫を思わせる」と関連付ける。
■帯の結びも共通
金色姫伝説は、うつろ舟の漂着地とされる現在の神栖市に伝わる。
同市日川には、養蚕信仰の本尊である蚕霊尊(金色姫)を祭る星福寺と蚕霊神社が存在する。常陸国の浜に天竺(インド)の姫が流れ着き、養蚕技術をもたらしたという伝説が残る。
2010年に発見された史料「水戸文書」でも、女性の衣服の帯と星福寺の蚕霊尊の帯の結び方の共通性が指摘されていた。
「南総里見八犬伝」の作者として知られる滝沢馬琴は、星福寺が発行したお札を見て、蚕霊尊である衣襲(きぬがさ)明神の錦絵に文章を書いており、1825年には奇談集「兎園小説」でうつろ舟を紹介している。
新史料で、うつろ舟伝説と養蚕信仰の関連が色濃くなったとして、田中氏は中京大先端共同研究機構文化科学研究所が来春発行予定の「文化科学研究」に論文を発表する。「仮説だが、間違いないと思っている」
★常陸国うつろ舟奇談
江戸後期の1803年、円盤のような乗り物が現在の神栖市の海岸に漂着し、中から不思議な服装をした女性1人が箱を抱えて現れたとされる伝承。これまでに滝沢馬琴「兎園小説」、長橋亦次郎「梅の塵」など14編の古文書で確認されている。伝説の概要、円盤状の乗り物、箱を抱えた女性、「宇宙文字」と研究者が呼ぶ暗号のような文字などの記述はほぼ共通する。民俗学者の柳田国男が注目して論文を書き、小説家の澁澤龍彦も作品のモチーフとした。