《連載:うつろ舟 伝説の今》(下) 謎の円盤、江戸期に 形、飛行なし…記述共通


「まるでUFO(未確認飛行物体)」「江戸時代にこんな不思議な絵が描かれたなんて」
うつろ舟伝説の関連史料の中でも代表的な「漂流記集」(江戸時代後期、万寿堂編)を所蔵する西尾市岩瀬文庫(愛知県)では、必ずと言っていいほど、来館者が驚きの声を上げる。海外からファンが訪れるほどの人気ぶりだ。
漂流記集は、当時の中国船やオランダ船などの漂流事件の記録を集めている。そこに登場するうつろ舟の姿はやはり円盤状で、下部が逆円すい型。何といっても鮮やかな着色が特徴だ。さらに現代文にすれば、こう記されている。
「材質は鉄で朱塗り。縦は一丈一尺(3・3メートル)、横は差し渡し三間(5・5メートル)。全部鉄。筋金は南蛮。縁は黒塗り。自由に開けられる。この場所は水晶。窓は硝子で格子は水晶。全部紫檀のように見えたがよく分からない」
史料は同館創設者で資産家の岩瀬弥助氏が収集。同館の学芸員は「江戸時代の史料は難しいイメージを持たれるが、これは気軽に楽しんでもらえる」と話す。
うつろ舟伝説は、養蚕信仰との関連性など研究が進む。一方、UFO目撃談そっくりの舟が、200年以上も前にどんな発想から生まれたのか。仮に作り話だとしても、楽しめるという点では、江戸時代も現代も共通しているようだ。
■UFO話より昔
「窓のある上部」「縁のある中部」「筋金で補強された下部」-。うつろ舟に関する各史料の記述を比較すると、三つの共通点が浮かび上がる。そう指摘するのは、うつろ舟研究を長年続ける岐阜大の田中嘉津夫名誉教授(75)だ。
「特に興味深いのは全ての絵で窓の数が3個であること。想像にしろ、模倣にしろ、他の数でもいいと思うが、全て3個なのは何か根拠があったからではないか」と田中氏。「飛行した記述はどこにもないが、うつろ舟の一番の面白さはそのUFO状の形にある」
現代のUFO目撃談は、アメリカで1947年に始まったとされる。田中氏は「これ以前、異人が乗る円盤型の乗り物の絵や写真、物語は世界中どこを探しても見つかっていないが、日本には、目撃談の約140年前、江戸時代から絵や文章として伝わっていた」と伝説の価値を訴える。
■民俗学でも諸説
うつろ舟は、古くからある「瓢(ひさご)の舟」伝説や、当時の日本近海に出没していた西欧の黒船の知識からの創作、そして空飛ぶ円盤など諸説入り乱れる。
民俗学の父と称された柳田国男(1875~1962年)は、論文「うつぼ舟の話」(25年)で、こう記している。「空洞木(うつろぎ)の利用に始まったかと思ふ獨木(まるき)舟が、追々に稀にみるものとなってしまふと、想像力を応用して、終(つい)に享和年間に常陸の濱(はま)へ漂着したような、筋金入りの硝子(がらす)張りの、何か蓋物見たような船が出来上がり」。つまり、想像の産物ということだろう。
論文は現代のUFO目撃談前に書かれたもの。仮に柳田がUFO話を聞いた後だったら、説は変わっただろうか-。うつろ舟研究者は想像を膨らませる。
柳田の高弟として民俗学の基礎を築いた折口信夫(1887~1953年)の「民俗学」(29年)にある「霊魂の話」は、うつろ舟を神の乗り物と位置付けている。「(神が)他界から来て此世の姿になるまでの間は、何ものかの中に這入(はい)つてゐなければならぬと考へた。そして其(その)容(い)れ物に、うつぼ舟・たまご・ひさごなどを考へた」。こうして諸説あっても、謎の解明には至っていない。
うつろ舟の真相は今も霧の中にある。
うつろ舟伝説の関連史料の中でも代表的な「漂流記集」(江戸時代後期、万寿堂編)を所蔵する西尾市岩瀬文庫(愛知県)では、必ずと言っていいほど、来館者が驚きの声を上げる。海外からファンが訪れるほどの人気ぶりだ。
漂流記集は、当時の中国船やオランダ船などの漂流事件の記録を集めている。そこに登場するうつろ舟の姿はやはり円盤状で、下部が逆円すい型。何といっても鮮やかな着色が特徴だ。さらに現代文にすれば、こう記されている。
「材質は鉄で朱塗り。縦は一丈一尺(3・3メートル)、横は差し渡し三間(5・5メートル)。全部鉄。筋金は南蛮。縁は黒塗り。自由に開けられる。この場所は水晶。窓は硝子で格子は水晶。全部紫檀のように見えたがよく分からない」
史料は同館創設者で資産家の岩瀬弥助氏が収集。同館の学芸員は「江戸時代の史料は難しいイメージを持たれるが、これは気軽に楽しんでもらえる」と話す。
うつろ舟伝説は、養蚕信仰との関連性など研究が進む。一方、UFO目撃談そっくりの舟が、200年以上も前にどんな発想から生まれたのか。仮に作り話だとしても、楽しめるという点では、江戸時代も現代も共通しているようだ。
■UFO話より昔
「窓のある上部」「縁のある中部」「筋金で補強された下部」-。うつろ舟に関する各史料の記述を比較すると、三つの共通点が浮かび上がる。そう指摘するのは、うつろ舟研究を長年続ける岐阜大の田中嘉津夫名誉教授(75)だ。
「特に興味深いのは全ての絵で窓の数が3個であること。想像にしろ、模倣にしろ、他の数でもいいと思うが、全て3個なのは何か根拠があったからではないか」と田中氏。「飛行した記述はどこにもないが、うつろ舟の一番の面白さはそのUFO状の形にある」
現代のUFO目撃談は、アメリカで1947年に始まったとされる。田中氏は「これ以前、異人が乗る円盤型の乗り物の絵や写真、物語は世界中どこを探しても見つかっていないが、日本には、目撃談の約140年前、江戸時代から絵や文章として伝わっていた」と伝説の価値を訴える。
■民俗学でも諸説
うつろ舟は、古くからある「瓢(ひさご)の舟」伝説や、当時の日本近海に出没していた西欧の黒船の知識からの創作、そして空飛ぶ円盤など諸説入り乱れる。
民俗学の父と称された柳田国男(1875~1962年)は、論文「うつぼ舟の話」(25年)で、こう記している。「空洞木(うつろぎ)の利用に始まったかと思ふ獨木(まるき)舟が、追々に稀にみるものとなってしまふと、想像力を応用して、終(つい)に享和年間に常陸の濱(はま)へ漂着したような、筋金入りの硝子(がらす)張りの、何か蓋物見たような船が出来上がり」。つまり、想像の産物ということだろう。
論文は現代のUFO目撃談前に書かれたもの。仮に柳田がUFO話を聞いた後だったら、説は変わっただろうか-。うつろ舟研究者は想像を膨らませる。
柳田の高弟として民俗学の基礎を築いた折口信夫(1887~1953年)の「民俗学」(29年)にある「霊魂の話」は、うつろ舟を神の乗り物と位置付けている。「(神が)他界から来て此世の姿になるまでの間は、何ものかの中に這入(はい)つてゐなければならぬと考へた。そして其(その)容(い)れ物に、うつぼ舟・たまご・ひさごなどを考へた」。こうして諸説あっても、謎の解明には至っていない。
うつろ舟の真相は今も霧の中にある。