サッカーW杯カタール大会 「見たい」上田の得点 少年時代に交流、水戸の松原さん親子

■代表FWでの活躍信じる
サッカー日本代表で水戸市出身のFW上田綺世(セルクル・ブリュージュ)が、ワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグのコスタリカ戦で先発出場を果たした。チームは敗戦し、1次リーグ突破のためには厳しい状況に追い込まれた。吉田ケ丘スポーツ少年団で上田を指導した松原裕二さん(50)と、長男で同級生の輝(ひかる)さん(23)は、上田の逆境での強さを知る。2人は「あの頃のように得点を決めてほしい」と今後の戦いに願いを込めた。
「今でも凸凹のグラウンドでボールを追いかける姿が目に浮かぶ」。少年団の指導は上田の父を中心に、裕二さんがサポートする形で行っていた。上田が得点を決められなかった時、みんなが走らされることもあった。上田に「俺が決めれば勝てる」という責任感が植え付けられた。そして「ここぞの場面で点を取っていた」と裕二さんは振り返った。
上田の人柄を表す出来事がある。輝さんは中学3年の7月に急性骨髄性白血病を発症した。仲間から回復を願う寄せ書きが贈られた。「頑張れ」というメッセージがほとんどの中、上田からは「〝笑え〟。どんな状況でも笑え。親を安心させてやれ」と伝えられた。
2人とも「綺世らしい」と口をそろえる。軽はずみな言葉は発さず、まず自分の行動が先に来る。他人任せにしない物事への責任感がにじんでいた。
裕二さんは、サッカーを教えた上田の父との関係に触れ、「俺が頑張れば親が喜んでくれる、と思ってやっていたのだろう。この言葉の通りだと思う」と話した。
輝さんは翌年5月まで1年近く闘病生活が続き、ほとんど外部との接触ができなかった。当時、上田から贈られた言葉は力になった。「深刻さを分かっていなかったこともあるが、自分が頑張ろうという気持ちになった」と笑みを浮かべた。今では病気も治り、W杯での日本代表の奮闘をテレビ越しに見守っている。
上田はコスタリカ戦で先発したものの、見せ場は少なく、前半のみの出場にとどまった。チームは1次リーグ最終戦のスペインを相手に、勝利が欲しい状況になった。
輝さんは「上田綺世の得点で日本全体が盛り上がる瞬間が見たい。得点をする姿が想像できる」と、その活躍を信じている。
サッカー日本代表で水戸市出身のFW上田綺世(セルクル・ブリュージュ)が、ワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグのコスタリカ戦で先発出場を果たした。チームは敗戦し、1次リーグ突破のためには厳しい状況に追い込まれた。吉田ケ丘スポーツ少年団で上田を指導した松原裕二さん(50)と、長男で同級生の輝(ひかる)さん(23)は、上田の逆境での強さを知る。2人は「あの頃のように得点を決めてほしい」と今後の戦いに願いを込めた。
「今でも凸凹のグラウンドでボールを追いかける姿が目に浮かぶ」。少年団の指導は上田の父を中心に、裕二さんがサポートする形で行っていた。上田が得点を決められなかった時、みんなが走らされることもあった。上田に「俺が決めれば勝てる」という責任感が植え付けられた。そして「ここぞの場面で点を取っていた」と裕二さんは振り返った。
上田の人柄を表す出来事がある。輝さんは中学3年の7月に急性骨髄性白血病を発症した。仲間から回復を願う寄せ書きが贈られた。「頑張れ」というメッセージがほとんどの中、上田からは「〝笑え〟。どんな状況でも笑え。親を安心させてやれ」と伝えられた。
2人とも「綺世らしい」と口をそろえる。軽はずみな言葉は発さず、まず自分の行動が先に来る。他人任せにしない物事への責任感がにじんでいた。
裕二さんは、サッカーを教えた上田の父との関係に触れ、「俺が頑張れば親が喜んでくれる、と思ってやっていたのだろう。この言葉の通りだと思う」と話した。
輝さんは翌年5月まで1年近く闘病生活が続き、ほとんど外部との接触ができなかった。当時、上田から贈られた言葉は力になった。「深刻さを分かっていなかったこともあるが、自分が頑張ろうという気持ちになった」と笑みを浮かべた。今では病気も治り、W杯での日本代表の奮闘をテレビ越しに見守っている。
上田はコスタリカ戦で先発したものの、見せ場は少なく、前半のみの出場にとどまった。チームは1次リーグ最終戦のスペインを相手に、勝利が欲しい状況になった。
輝さんは「上田綺世の得点で日本全体が盛り上がる瞬間が見たい。得点をする姿が想像できる」と、その活躍を信じている。