茨城県南の地域情報紙「常陽リビング」休刊へ 創刊から45年、コロナで広告収入減


茨城県南地域に新聞折り込みで配られている地域情報紙「常陽リビング」が17日を最後に休刊する。1977年の創刊から地元のニュースや生活に密着した情報を週刊で発信してきた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で広告収入が減少し、休刊を決断した。最終号は「読者に感謝を伝える」(同紙)特集を組み、45年の歴史に幕を閉じる。
常陽リビングは、茨城県土浦市に拠点を置いた常陽新聞(休刊)の情報版として創刊。81年に常陽リビング社(同市桜ケ丘町)として独立し、タブロイド判(新聞の半分の大きさ)の8ページで発行してきた。毎週土曜日、新聞各紙への折り込みを中心に、総発行部数は21万6575部。配布エリアは主に県南地域の13市町村。
休刊の理由として同社は、広告や情報の多様化をはじめ、新型コロナに伴う広告の自粛、削減の影響を受け、広告売り上げが著しく減ったことを挙げた。今年に入って原材料費も値上がりし、業績回復は困難と受け止め、「やむなく休刊の決断に至った」と説明した。
同社は9月、今年中に休刊することを社員に通知。社員約20人は退職に応じ、5人はグループ会社などに配置換えする。会社は存続し、千葉県市川市で同様の事業を担う予定。県内の事業は全て終え、年度末で現社屋は閉じる。
米山典克社長は「コロナ前の3~4年前くらいから広告収入が減り、収益改善策や事業承継を模索してきた。コロナ、物価高を経て事業を続けるのは難しいと判断した」と語った。
新聞社から始まったこともあり、1面では話題の人を長文インタビューで紹介してきた。昨年亡くなったギタリスト、寺内タケシさん(土浦市出身)や、競馬の藤田菜七子騎手(守谷市出身)など注目の人を取り上げたほか、埋もれがちな人や話題にも光を当てた。
「くらしの情報」コーナーでは、催しの告知に加え、「売ります」「買います」といった街の掲示板の役割を果たした。別冊でグルメや子育て、住宅、お散歩マップなど、さまざまな情報誌も出してきた。
井坂和巳営業部長は「毎回必死に作り上げてきた。日刊紙で扱わない細かい情報を載せ、存在意義を発揮できた。多くの人が見ていてくれた。感謝したい」と振り返った。
11月に紙面で休刊を告知して以降、読者からは「寂しい」「残念」と惜しむ声が多数届いているという。
これまで重ねた号数は最終週を含め2285号。創刊号以来の発行紙ファイル90冊は、土浦市立図書館に寄贈する。米山社長は「広告や記事を見ると、土浦や県南の時代の移り変わりが分かる」と話した。
常陽リビングは、茨城県土浦市に拠点を置いた常陽新聞(休刊)の情報版として創刊。81年に常陽リビング社(同市桜ケ丘町)として独立し、タブロイド判(新聞の半分の大きさ)の8ページで発行してきた。毎週土曜日、新聞各紙への折り込みを中心に、総発行部数は21万6575部。配布エリアは主に県南地域の13市町村。
休刊の理由として同社は、広告や情報の多様化をはじめ、新型コロナに伴う広告の自粛、削減の影響を受け、広告売り上げが著しく減ったことを挙げた。今年に入って原材料費も値上がりし、業績回復は困難と受け止め、「やむなく休刊の決断に至った」と説明した。
同社は9月、今年中に休刊することを社員に通知。社員約20人は退職に応じ、5人はグループ会社などに配置換えする。会社は存続し、千葉県市川市で同様の事業を担う予定。県内の事業は全て終え、年度末で現社屋は閉じる。
米山典克社長は「コロナ前の3~4年前くらいから広告収入が減り、収益改善策や事業承継を模索してきた。コロナ、物価高を経て事業を続けるのは難しいと判断した」と語った。
新聞社から始まったこともあり、1面では話題の人を長文インタビューで紹介してきた。昨年亡くなったギタリスト、寺内タケシさん(土浦市出身)や、競馬の藤田菜七子騎手(守谷市出身)など注目の人を取り上げたほか、埋もれがちな人や話題にも光を当てた。
「くらしの情報」コーナーでは、催しの告知に加え、「売ります」「買います」といった街の掲示板の役割を果たした。別冊でグルメや子育て、住宅、お散歩マップなど、さまざまな情報誌も出してきた。
井坂和巳営業部長は「毎回必死に作り上げてきた。日刊紙で扱わない細かい情報を載せ、存在意義を発揮できた。多くの人が見ていてくれた。感謝したい」と振り返った。
11月に紙面で休刊を告知して以降、読者からは「寂しい」「残念」と惜しむ声が多数届いているという。
これまで重ねた号数は最終週を含め2285号。創刊号以来の発行紙ファイル90冊は、土浦市立図書館に寄贈する。米山社長は「広告や記事を見ると、土浦や県南の時代の移り変わりが分かる」と話した。