武者塚古墳、実は方墳 40年間の円墳説覆る 茨城県土浦市教委・筑波大調査で判明

約40年前の調査で国重要文化財の副葬品などが発見された茨城県土浦市上坂田の武者塚古墳の形状が、これまで推定されていた円墳ではなく方墳だったことが14日、同市教委と筑波大の共同調査で明らかになった。築造年代も従来の推定より新しい古墳時代終末期(7世紀中期)になるとみられる。同大は「調査結果の誤りを正すことができた」と成果を強調した。
武者塚古墳は1983年、当時の新治村史編さん事業の一環で、筑波大の調査団が発掘調査を実施。地下式の横穴式石室から装飾付きの大刀や銀製の帯状金具といった豊富な副葬品が発見され、埋葬遺体3体に毛髪が残っていることも分かった。地元豪族の墓で、形は直径23メートルの円墳と推定された。
出土品は2014年に国重文に指定。同年、同大考古学研究室が行った地中レーダー探査で、石室の南側に直線の溝がある可能性が浮上した。方墳を造るときに同様の溝ができることから、円墳説は再検討が必要とされた。
今回の調査は今月5~17日の予定で行われている。横穴式石室の周辺に、幅と深さ1~2メートル、長さ6~8メートルの穴を3カ所掘り、土や地質の変化を調べた。その結果、全ての穴で幅3メートル、深さ30センチの直線の溝を確認。古墳は22メートル四方の方墳と推定され、円墳説を覆した。円墳は6世紀末~7世紀初頭、方墳は7世紀中期までに多く造られていることから、築造の年代も新たに推定された。
同研究室の滝沢誠教授(考古学)は「1983年の調査は限られた時間内で発掘しており、円墳と推定したのは仕方ない。方墳という事実を確かめられた喜びは大きい」と話した。
市教委と同大は18日午後1時半~3時、同所の武者塚古墳展示施設で現地説明会を開く。
武者塚古墳は1983年、当時の新治村史編さん事業の一環で、筑波大の調査団が発掘調査を実施。地下式の横穴式石室から装飾付きの大刀や銀製の帯状金具といった豊富な副葬品が発見され、埋葬遺体3体に毛髪が残っていることも分かった。地元豪族の墓で、形は直径23メートルの円墳と推定された。
出土品は2014年に国重文に指定。同年、同大考古学研究室が行った地中レーダー探査で、石室の南側に直線の溝がある可能性が浮上した。方墳を造るときに同様の溝ができることから、円墳説は再検討が必要とされた。
今回の調査は今月5~17日の予定で行われている。横穴式石室の周辺に、幅と深さ1~2メートル、長さ6~8メートルの穴を3カ所掘り、土や地質の変化を調べた。その結果、全ての穴で幅3メートル、深さ30センチの直線の溝を確認。古墳は22メートル四方の方墳と推定され、円墳説を覆した。円墳は6世紀末~7世紀初頭、方墳は7世紀中期までに多く造られていることから、築造の年代も新たに推定された。
同研究室の滝沢誠教授(考古学)は「1983年の調査は限られた時間内で発掘しており、円墳と推定したのは仕方ない。方墳という事実を確かめられた喜びは大きい」と話した。
市教委と同大は18日午後1時半~3時、同所の武者塚古墳展示施設で現地説明会を開く。