国史跡の茨城・結城廃寺跡 鴟尾のひれ部分発見 「軒廊」跡も確認


茨城県結城市教育委員会は同市矢畑・上山川の国史跡「結城廃寺跡」の2022年度発掘調査の成果を発表した。史跡公園の整備を目指した27年ぶりの調査で、寺の屋根を装飾する瓦製の「鴟尾(しび)」のひれに当たる部分(長さ約20センチ、幅約9センチ)が発見されたほか、建物の間をつなぐ屋根付きの廊下「軒廊(こんろう)」の跡が確認された。
結城廃寺は奈良時代初めの創建で、室町時代の中ごろまで約700年間存続したとされる。1988~95年度までの8次にわたる調査の結果、南北約250メートル、東西約180メートル、広さ約4万5千平方メートルもの広大な寺域を有し、「法起寺式(ほっきじしき)」と呼ばれる伽藍(がらん)配置の金堂跡、塔跡、講堂跡が確認されたほか、多量の土器や瓦、陶器のほか、東日本では珍しい粘土製の仏像「塼仏(せんぶつ)」などが出土した。
これらの成果により、極めて畿内的な特徴を持ち、東国への仏教文化の波及を考える上で重要な遺跡として、2002年に近くの結城八幡瓦窯跡と合わせて国史跡に指定された。
鴟尾は8世紀前半ごろの製作と推定され、これまで不明だった文様が判明した。過去の調査で胴体の一部が出土しており、今回の発見で鴟尾の全体像が復元できる可能性が高まった。滋賀県大津市の山ノ神遺跡の出土品と類似し、関東で鴟尾の発見例は結城のほか上野国山王廃寺(前橋市)のみという。
宿舎として使われていた北側の僧坊と学習に使われていた南側の講堂を結ぶ屋根付きの廊下「軒廊」の跡も新たに見つかった。軒廊は規模の大きい寺や建築技術の高い寺などに見られる造りという。付近の整地された地層から須恵器が見つかり、9世紀前半ごろの建造と推定される。整地層を壊して軒廊を造った痕跡などから、寺を拡大しようと数回にわたって整備、改修した可能性があることも判明した。
25日に一般向けに現地説明会(午前10時~11時30分、午後1時~2時30分)がある。各回定員100人。事前申し込みで締め切りは22日午後5時15分。問い合わせは生涯学習課(電)0296(32)1931。
結城廃寺は奈良時代初めの創建で、室町時代の中ごろまで約700年間存続したとされる。1988~95年度までの8次にわたる調査の結果、南北約250メートル、東西約180メートル、広さ約4万5千平方メートルもの広大な寺域を有し、「法起寺式(ほっきじしき)」と呼ばれる伽藍(がらん)配置の金堂跡、塔跡、講堂跡が確認されたほか、多量の土器や瓦、陶器のほか、東日本では珍しい粘土製の仏像「塼仏(せんぶつ)」などが出土した。
これらの成果により、極めて畿内的な特徴を持ち、東国への仏教文化の波及を考える上で重要な遺跡として、2002年に近くの結城八幡瓦窯跡と合わせて国史跡に指定された。
鴟尾は8世紀前半ごろの製作と推定され、これまで不明だった文様が判明した。過去の調査で胴体の一部が出土しており、今回の発見で鴟尾の全体像が復元できる可能性が高まった。滋賀県大津市の山ノ神遺跡の出土品と類似し、関東で鴟尾の発見例は結城のほか上野国山王廃寺(前橋市)のみという。
宿舎として使われていた北側の僧坊と学習に使われていた南側の講堂を結ぶ屋根付きの廊下「軒廊」の跡も新たに見つかった。軒廊は規模の大きい寺や建築技術の高い寺などに見られる造りという。付近の整地された地層から須恵器が見つかり、9世紀前半ごろの建造と推定される。整地層を壊して軒廊を造った痕跡などから、寺を拡大しようと数回にわたって整備、改修した可能性があることも判明した。
25日に一般向けに現地説明会(午前10時~11時30分、午後1時~2時30分)がある。各回定員100人。事前申し込みで締め切りは22日午後5時15分。問い合わせは生涯学習課(電)0296(32)1931。