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ウクライナ人留学生 常磐大、ソフィアさん 日本文化、祖国に

母と自分がウクライナで撮った写真データを見るソフィア・マシチェンコさん=水戸市見和
母と自分がウクライナで撮った写真データを見るソフィア・マシチェンコさん=水戸市見和
昨年2月25日、避難した地下鉄構内の冷たい床の上で眠るソフィア・マシチェンコさんら(ソフィアさん提供)
昨年2月25日、避難した地下鉄構内の冷たい床の上で眠るソフィア・マシチェンコさんら(ソフィアさん提供)
ロシア軍の空爆で崩れた、イリピンにあるソフィア・マシチェンコさんの祖母の隣家(ソフィアさん提供)
ロシア軍の空爆で崩れた、イリピンにあるソフィア・マシチェンコさんの祖母の隣家(ソフィアさん提供)


■夢実現「諦めない」
ロシアの侵攻を受けたウクライナから避難し、日本で学ぶ留学生がいる。9月から常磐大(水戸市)で学ぶソフィア・マシチェンコさん(21)もその一人だ。戦禍を受ける古里に残る家族を気にかけながら「怒りがモチベーションになっている。今できること、勉強することが家族のため、ウクライナのためになる」と語る。夢は祖国で日本文化を伝えるイベントを開くこと。来月で侵攻から1年となる中、「私は諦めない」と未来を見据える。

■突然の避難
ソフィアさんは首都キーウ(キエフ)出身。日本語は14歳の時に家庭教師と1年ほど勉強した後、独学で覚えた。日本のアイドルグループに魅せられ、「日本にはまった」。通っていたキーウ大でも副専攻に日本語を選んだ。欧州で日本文化を伝える博覧会「ジャパン・エキスポ」を見たり、アニメやマンガの「ドイツ・コミック・マーケット」にボランティアとして参加したりした。それを機に、卒業後にウクライナで同じようなイベントを企画すると決めた。

予定が狂ったのは昨年2月24日。突然、ロシア軍が攻めてきた。「前日の23日の夜は同級生たちと一緒にレストランにいた。25日朝には母と近くの地下鉄に避難した」。テーブルで友人と楽しそうに談笑するソフィアさんの笑顔と、地下鉄構内の冷たい地面にうずくまる人々…。2枚の写真が唐突な変化を物語る。「一瞬で平和な日常が終わった」

■単身ドイツへ
侵攻後、人々は自宅の浴室でバスタブにマットを敷いて寝た。家の奥で一番安全な場所だからだ。ビルは砲弾で焼けただれ、一部が崩れた。戦闘が繰り広げられ、外には薬きょうが普通に落ちていた。母と自分が撮った写真には、戦争の現実が刻まれた。キーウから約20キロのイリピンでは、祖母の隣家が空爆で崩れた。

3月、単身でドイツに避難した。オンライン授業を受け、夏に大学を卒業。卒業論文のテーマは「日本のアニメ、マンガにおける方言の機能」だった。

ドイツで言葉を学び、就職しようとも考えた。避難に関する膨大な書類と、それを提出するための〝役所行脚〟に疲れた。ドイツ語習得の遅れに不安を覚えた頃、日本留学の募集に目が留まった。

■何でも聞いて
ウクライナの学生を支援するため、県内の大学も受け入れを進めていた。9月下旬に来日。祖国に残る母は「家も大丈夫。家族も無事。勉強を続けて。帰らなくていい」と背中を押してくれた。

3カ月がたち、日本の生活にも慣れた。ただ母や祖母からの電話は週に1回あればいい方だ。ロシアによるインフラ攻撃で、電源が途絶え、電波も届かない所が出ている。

戦争で受けた精神的なダメージは薄れつつある。心配はあっても、落ち着いて考えられるように心境が変わった。

紛争の長期化で、最近はウクライナの被害を世界が忘れてしまうのではと感じる。「避難民や戦争のことを何でも聞いてほしい。関心を持ち続けてほしい」と願う。

留学の期限は取りあえず2年。戦争が終わり、祖国で自由にイベントが開ける日を待ち続ける。

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