茨城・那珂の下大賀遺跡 石製支脚に顔 全国初、平安期の住居




茨城県那珂市瓜連の下大賀遺跡で、平安時代の竪穴住居跡から出土した石製の支脚に人の顔が彫り込まれていたことが分かった。支脚はかまどで煮炊きに使う甕(かめ)を支える道具。人物画が描かれているものは珍しく、土製での確認は過去2例あっただけで、石製では全国で初めて。県教育財団が18日、発表した。
遺跡は久慈川支流の玉川の右岸、標高44メートルの台地上にある。同財団によると、支脚はかまどの中に立てられた状態で埋まっていた。9世紀中ごろのものとみられる。2013年度の調査で発掘され、本年度になって職員がクリーニングし、人の顔を見つけた。
支脚は長さ26・3センチ、幅9・3センチ、厚さ7・2センチ。凝灰岩の一種で加工しやすく、正面に人の顔と衣をまとったような体、側面に顔が細い釘状のもので彫られていた。
人物画が描かれた支脚の発掘は全国でも珍しく、千葉県酒々井町の飯積原山遺跡(02年)、埼玉県深谷市の幡羅遺跡(06年)に次いで今回が3例目。先の2例はいずれも土製で、石製は今回が初めて。
支脚は強飯(こわいい)を作る際、水を入れた甕を固定する道具として使われた。焼けて変色した跡があることから、頭を下にした状態で床に据えられていたことが分かった。
同財団は、かまどに生命を司る神が宿るとされる「竈神(かまどがみ)信仰」との関連性を指摘。「竈神は家族の行いを監視し、天に昇って悪行を報告すると言われる。逆さにして天に昇らせないことで、家族の長生きを祈ったのではないか」と分析する。
人面のある支脚が関東地方で集中して見つかっていることなどを踏まえ、「信仰のルーツを知る貴重な事例として、民俗学や考古学の視点で見たい」として研究を進める。
遺跡は久慈川支流の玉川の右岸、標高44メートルの台地上にある。同財団によると、支脚はかまどの中に立てられた状態で埋まっていた。9世紀中ごろのものとみられる。2013年度の調査で発掘され、本年度になって職員がクリーニングし、人の顔を見つけた。
支脚は長さ26・3センチ、幅9・3センチ、厚さ7・2センチ。凝灰岩の一種で加工しやすく、正面に人の顔と衣をまとったような体、側面に顔が細い釘状のもので彫られていた。
人物画が描かれた支脚の発掘は全国でも珍しく、千葉県酒々井町の飯積原山遺跡(02年)、埼玉県深谷市の幡羅遺跡(06年)に次いで今回が3例目。先の2例はいずれも土製で、石製は今回が初めて。
支脚は強飯(こわいい)を作る際、水を入れた甕を固定する道具として使われた。焼けて変色した跡があることから、頭を下にした状態で床に据えられていたことが分かった。
同財団は、かまどに生命を司る神が宿るとされる「竈神(かまどがみ)信仰」との関連性を指摘。「竈神は家族の行いを監視し、天に昇って悪行を報告すると言われる。逆さにして天に昇らせないことで、家族の長生きを祈ったのではないか」と分析する。
人面のある支脚が関東地方で集中して見つかっていることなどを踏まえ、「信仰のルーツを知る貴重な事例として、民俗学や考古学の視点で見たい」として研究を進める。