《連載:自殺サバイバー 茨城・稲敷 支援の現場から》(上) 孤独

自殺未遂に至った経緯や今の仕事への気持ちを手紙にして整理する女性
自殺未遂に至った経緯や今の仕事への気持ちを手紙にして整理する女性
警察や民間と連携し、自殺を試みた人を救う茨城県稲敷市の取り組みが2020年11月に始まり、3年目を迎えた。自殺未遂から生還した「自殺サバイバー」と支援者の思いに迫った。

■いじめや病気 苦に 新型コロナ禍「追い打ち」
40代女性は、コロナ禍で家にいた夜、死がふと頭をよぎった。居間で1人、ビールを飲んでいた。

「つらさから逃げたかった。親が悲しむとか、何も考えられなかった」

大量の薬を口にし、ビールで流し込む。意識を失った。職場でのいじめの記憶や病気の苦しみを、10年近く引きこもりながら抱え込んだ果て、だった。

▽出勤せず辞職
女性は小学生の頃、両親と3人で移住した。中学高校は周りに支えられて卒業し、医療系の職場で働き始めた。

転機は30歳前後で訪れた。清掃業の仕事で同僚からいじめを受けた。「無視はしょっちゅう。ほかにもいろんな嫌がらせをされた」。家計を助けるため3カ月間は耐えて働いた。ある朝、気力が尽きて辞めた。

いじめの体験が女性の心に傷を残した。面接に受かっても、初出勤の日には前の職場を思い出す。「冷や汗が出て心臓ばくばく。おなかの具合も悪くなる」。一度も出勤せずに辞めることを繰り返した。

▽ぷつりと糸切れ
働けない自分を責め、夜も眠れない。病院でうつと診断された。10年近く引きこもった。

新型コロナウイルスの感染拡大が、「追い打ち」となった。定年退職した父は、外出を控えて家にいることが増えた。母は仕事に出ていて、父と2人で家にいるとストレスが募った。コロナ禍前に比べ友人と会う機会も極端に減り、孤独感が増した。

「親孝行もできない。死にたい」。糸がぷつりと切れ、自殺を図った。数時間後、仕事から帰った母が119番通報した。

病院で目を覚ました時、「死ねなかったんだな」と思った。退院の日、母が着替えと化粧道具を持ってきた。疲れ果て、化粧する余裕はなかった。「母がどれほど私のことを考えてくれていたのか気付いた。本当にばかなことをした」。泣くまいと決め、母と笑った。

▽支援と再就職
警察から稲敷市の自殺相談窓口「こころの相談」の説明を受けた父は、市に女性の連絡先を伝えることを同意した。ただ、女性と母は「関わらないで」と市職員との面談を断った。

1カ月後、何かが変わればと思い、市職員と会ってみることにした。「家族や友達に言えなかった悩みを聞いてくれた」。対面やメールでの相談をしながら1年がたち、職員から仕事を紹介された。「いよいよかと思った。働いて母を楽にしたい」。市が協定を結ぶ市内のNPO法人に面接に出かけた。

NPOの紹介で、牛久市の就労支援事業所「健康お弁当おはな」で働くことになった。初めの1カ月は出勤できなかった。それでも社長やサービス管理者は見捨てないでいてくれた。

10年ぶりの仕事を終えた日、帰宅すると母が迎えてくれた。「ほっとした。やっと働けるようになったんだとうれしかった」。初任給で母を回転ずしに連れて行った。

おはなの青木一彩(ひいろ)さん(33)は女性を励ます。「考えられないくらい成長した。働く自信を取り戻していってほしい」と願う。

女性は、今が人生で一番生き生きしていると感じる。「必ずどこかに気持ちを分かってくれる人がいる。勇気を出して相談してほしい」。自分と似た境遇の誰かに向け、言葉を送った。

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