《連載:12年後の現在地 福島から茨城 東日本大震災》(上) 語り部 茨城町 吉田孝子さん 方言と民話残したい

■苦難超え、第二の古里に
東日本大震災と福島第1原発事故から12年。茨城県には全国最多の2499人(2月時点)が福島から避難を続ける。古里への思いを捨て切れないまま、今も事故と向き合う人たちの姿を追った。
「今から千年くらい前の話なんだけんちょもな…山城に殿様がいたんだしけど」。4日、水戸市内で開かれた福島県からの避難者の交流会。相馬弁で地域の民話が語られ出すと、静かな会場に和やかな雰囲気が広がった。
吉田孝子さん(66)は福島県双葉郡の昔話を集め、地元の方言で語り部をしている。農家の嫁が村中に鳴り響くおならを繰り返す「屁ったれ嫁さま」のような大げさな昔話もあり、笑いを誘う。
吉田さんは「方言でも話が伝わるように工夫している。聞いた人が懐かしいと言ってくれるとうれしい」と語る。
語り部をするようになったのは4年ほど前。茨城県茨城町で栗農家を営み、朗読仲間の応援で古里の昔話を話すようになった。
しかし、ここに至るまでは苦難の日々だった。
■牛を助けられず
同県富岡町の夜の森地区出身。野菜やコメを作り、和牛の親牛3、4頭に子牛を産ませて売る小さな畜産農家だった。2011年3月11日。デイサービスの仕事をしていた時、地震に遭った。翌日、東京電力福島第1原発事故の避難指示が出た。「2~3日で戻れるだろう」と着の身着のままで避難した。牛は牛舎につないだまま離れていた。
川内村を経ていわき市に避難、牛に餌をあげようと一度戻ろうとした。道路は封鎖されていた。3カ月後に一時帰宅すると、牛は全て飢え死にしていた。手塩にかけて育てた大切な牛たち。「本当にかわいそうなことをした」。思い出すと涙が落ちる。
■悔しさと寂しさ
14年、避難生活を送った栃木県から、気候が近い茨城町に夫の輝男さん(71)、娘と共に移住した。
富岡町の居住地区は今年4月に避難指示が解除される予定。ただ、かつてのコミュニティーはなくなった。自宅は既に解体し、戻ることはできない。悔しさと寂しさは消えない。
茨城で新しい仲間もできた。今は「皆と仲良くここ(茨城)で生活していきたい」と考えている。
それでも、交流会で古里の踊りや歌を見聞きすると「懐かしさでいっぱいになる」と思いは捨て切れない。今後、復興が進む古里に対し「もし帰ることがあれば、その時は誇れる町になってほしい」と願う。
■目に浮かぶ風景
民話の文化を伝える活動は、震災前から公民館や児童館でしていた。民話本を基にお年寄りに会い、数十件を聞き取った。「訪ねると歓迎して、裏話や物語にまつわる話を聞かせてくれた」。震災で古里が失われ、地域を歩く楽しみは、もうかなわない。
茨城で語り部を再開し、茨城大や高齢者施設で活動する。「機会を得られて幸せ」。今の生きがいにもなっている。
時間がたつと方言や民話は忘れられてしまう。聞いた人の心にとどまり、風化を少しでも防げればいい。語る時は自分で作ったり曲げたりせず、ありのままを表現する。語りながら、風景を目に思い浮かべる。
「被災した地域にもこんな文化が残っていたんだと知ってほしい」。これからは茨城に伝わる民話も伝承していくつもりだ。思い出をたどりながら、第二の古里での人生も見据えている。
東日本大震災と福島第1原発事故から12年。茨城県には全国最多の2499人(2月時点)が福島から避難を続ける。古里への思いを捨て切れないまま、今も事故と向き合う人たちの姿を追った。
「今から千年くらい前の話なんだけんちょもな…山城に殿様がいたんだしけど」。4日、水戸市内で開かれた福島県からの避難者の交流会。相馬弁で地域の民話が語られ出すと、静かな会場に和やかな雰囲気が広がった。
吉田孝子さん(66)は福島県双葉郡の昔話を集め、地元の方言で語り部をしている。農家の嫁が村中に鳴り響くおならを繰り返す「屁ったれ嫁さま」のような大げさな昔話もあり、笑いを誘う。
吉田さんは「方言でも話が伝わるように工夫している。聞いた人が懐かしいと言ってくれるとうれしい」と語る。
語り部をするようになったのは4年ほど前。茨城県茨城町で栗農家を営み、朗読仲間の応援で古里の昔話を話すようになった。
しかし、ここに至るまでは苦難の日々だった。
■牛を助けられず
同県富岡町の夜の森地区出身。野菜やコメを作り、和牛の親牛3、4頭に子牛を産ませて売る小さな畜産農家だった。2011年3月11日。デイサービスの仕事をしていた時、地震に遭った。翌日、東京電力福島第1原発事故の避難指示が出た。「2~3日で戻れるだろう」と着の身着のままで避難した。牛は牛舎につないだまま離れていた。
川内村を経ていわき市に避難、牛に餌をあげようと一度戻ろうとした。道路は封鎖されていた。3カ月後に一時帰宅すると、牛は全て飢え死にしていた。手塩にかけて育てた大切な牛たち。「本当にかわいそうなことをした」。思い出すと涙が落ちる。
■悔しさと寂しさ
14年、避難生活を送った栃木県から、気候が近い茨城町に夫の輝男さん(71)、娘と共に移住した。
富岡町の居住地区は今年4月に避難指示が解除される予定。ただ、かつてのコミュニティーはなくなった。自宅は既に解体し、戻ることはできない。悔しさと寂しさは消えない。
茨城で新しい仲間もできた。今は「皆と仲良くここ(茨城)で生活していきたい」と考えている。
それでも、交流会で古里の踊りや歌を見聞きすると「懐かしさでいっぱいになる」と思いは捨て切れない。今後、復興が進む古里に対し「もし帰ることがあれば、その時は誇れる町になってほしい」と願う。
■目に浮かぶ風景
民話の文化を伝える活動は、震災前から公民館や児童館でしていた。民話本を基にお年寄りに会い、数十件を聞き取った。「訪ねると歓迎して、裏話や物語にまつわる話を聞かせてくれた」。震災で古里が失われ、地域を歩く楽しみは、もうかなわない。
茨城で語り部を再開し、茨城大や高齢者施設で活動する。「機会を得られて幸せ」。今の生きがいにもなっている。
時間がたつと方言や民話は忘れられてしまう。聞いた人の心にとどまり、風化を少しでも防げればいい。語る時は自分で作ったり曲げたりせず、ありのままを表現する。語りながら、風景を目に思い浮かべる。
「被災した地域にもこんな文化が残っていたんだと知ってほしい」。これからは茨城に伝わる民話も伝承していくつもりだ。思い出をたどりながら、第二の古里での人生も見据えている。