《連載:扉を開けば 茨城・ひきこもりと向き合う》(上) 脱出 社会復帰へ就職の壁

ひきこもりから「脱出」し、仕事の予定をスマートフォンで確認するマサテルさん(仮名)=つくば市内
ひきこもりから「脱出」し、仕事の予定をスマートフォンで確認するマサテルさん(仮名)=つくば市内
■「空白」の履歴書、偏見も
内閣府の調査で、ひきこもりは全国で115万人いるとされ、80代の親と50代の当事者が共に高齢化して孤立する「8050」問題に直面する。周囲の偏見などを受けながら社会の扉を開こうともがき、互いに支え合う当事者や親の姿を取材した。

茨城県南で農業に携わるマサテルさん(44)=仮名=は、青果物の収穫作業に汗を流す日々を送る。15~39歳の約25年間にわたって断続的に引きこもった。40歳を目前に突然、「脱出」した。仕事を続けるものの、「正直、脱出後の方が生活は厳しい」と悩みを打ち明ける。

■日課は家事
周囲となじめなかった。小学校から不登校気味になり、勉強についていけない。学校で「ただいるだけの苦痛の時間」を過ごした。中学も休みがちで、定時制高校を退学後、23~39歳はずっと家にいる生活を送った。

引きこもり、外出は年に数回。昼夜逆転し、寝るかゲームやテレビを見るかしていることが多かった。

「この先どうするんだ!」。父親とは大声のけんかになった。壁を壊し、親が悪いと当たった。「理解してくれない」という苦しさを抱えた。

年月がたつにつれ、家事が日課になった。親も受け入れてくれた。あっという間に20代は過ぎた。「共依存の関係だった」

■もう無理
40歳を前に「これでは駄目だ」と突然思い立つ。

支援組織に行くことを親に伝えた。理由の一つは、80歳の父親が認知症になり会話が難しくなったことだった。今までは「親が何とかすべき」と思っていた。「もう無理じゃん」と感じた。ひきこもりに飽きてもいた。外に出たいという感情が強くなった。

初めて携帯電話を持った。最初はメールすらできなかった。コロナ禍で行くところがなく、散歩やジョギングを始め、2年で20キロ減量した。体力が付き、前向きになった。

■違和感
社会復帰の関門の一つが就職だ。ひきこもり期間は、履歴書では「空白」と見られる。ハローワークに行き、「仕事はない」と言われた。

ひきこもり経験者と話すと、就職の苦労話は尽きない。職場で失敗すると「ひきこもりだったもんな」と手厳しい言葉を浴びせられ、「犯罪者みたいな偏見を受けることもあった」。

働くことは大変と感じる。支援団体が手を差し伸べてくれて、履歴書なしで働ける職場を探した。理解ある知人が今も働く農園に受け入れてくれた。

月給は10万~15万円。たまに母親が好きなケーキを買い、一緒に食べる。そんな時間や心の余裕が持てるようになった。

心療内科で「発達障害」と診断を受けたのは最近のことだ。「ああ、そうだったのか」。医師からは「今までつらかったね」と言われ、自分でも納得した。

ひきこもりが解決したのかと問われると、答えは難しい。働くことで世間的には解決したと見られがちだが、違和感はある。

社会の風にさらされ、「脱出した後が大変」と受け止める。障害者手帳2級を取り、障害年金と障害者雇用で生きていく考えもよぎる。それでも福祉に極力頼らず、もう少し頑張ってみようと意識する。「生きていく方法を見つけていければ」。言葉を絞り出した。

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