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【扉を開けば 茨城・ひきこもりと向き合う】 (中) 《連載:扉を開けば 茨城・ひきこもりと向き合う》(中) 居場所 緩やかな連帯支えに

森林整備の仕事に汗を流すコウタさん(右)。ひきこもり経験者の仲間も一緒に参加する=県南地域
森林整備の仕事に汗を流すコウタさん(右)。ひきこもり経験者の仲間も一緒に参加する=県南地域


■当事者同士、悩み語らう

茨城県龍ケ崎市近郊に住むコウタさん(52)=仮名=は小学3年時に学校を休みがちになり、断続的にひきこもりになった。

東京から県内に転校したのを機に、4年生から学校に行かなくなった。「何で学校に行かないのか」という親からの強い圧力に気力がなえ、体が動かなくなった。

6年生になり、教員に学校へ連れていかれた。授業は分からず、同級生とも話さなかった。中学校ではいじめられ、「皆と一緒にいるのが嫌で、浮いた存在になった」。引きこもり、家では24時間ひたすらラジオを聴いていた。昼夜は逆転、誰にも会いたくなかった。1人で食事し、親が仕事でいなくなる日中はテレビを見て過ごした。

■選択肢

父親には殴られることもあった。年月とともに自由にさせてくれるようになり、学校に行かなくていいという選択肢ができて、気が楽になった。

17歳の時、気持ちが動いた。大阪にいる叔父を訪ね、電気工事のアルバイトをした。18歳で自衛隊に入隊し、いきなり集団生活にたたき込まれた。同期生は不登校やひきこもり経験者が多かった。悩みを共有し「仲間っていいな」と感じた。

■社会復帰

退職後、再び家にこもった。父親が倒れたのを機に猛勉強し、32歳で大検に合格。北海道の大学の通信制に入った。父を5年間介護した末にみとった。

今は、県内外の森林整備の仕事に就き、汗を流す日々だ。主宰者はひきこもり経験者を迎え入れ、人とのつながりや社会復帰を後押ししてくれる。コウタさんは「取りあえず生きていける」と笑う。生活は楽ではないが、絶望感からは抜け出した。

当事者や親の会に参加し、体験を語る。心の自由を得ることで、ささやかな気付きを積み重ねる。自分が動くきっかけを自分で得る。ひきこもり当事者の会も自ら主宰するようになり、居場所を提供した。参加者に伝える言葉がある。「いつか出られる日が来る。信じてほしい」

■心地よい時間

阿見町のひきこもり経験者、ジュンさん(40)=仮名=は、千葉県のJR常磐線沿線で月1回、当事者の会「生きづらわーほり」に関わる。

高校で不登校気味となり、大学で就職活動に失敗。1年間引きこもった。母を昨年亡くし、精神的に落ち込んだ。外には出られるが、自分では「ひきこもり継続中」と考えている。

心の支えは仲間たちとの語らい。車座になり、自分の経験をゆっくり話す。相手と共感することで、自分を見詰める時間にもなる。集まるのは「生きづらさ」を抱える人たちだ。緩やかな連帯。心地よい時間が過ぎる。

語らいの場は県内にもある。ただ、居場所はまだまだ少ないと感じる。「場があって、外に出た時、幸運にも受け止めてくれる人がいることは大事だ」と指摘する。当事者が外に出て話せる場が、各地に一つでも増えてほしいと考える。

ジュンさんは「ひきこもりは人ごとではなく、心が傷つけば誰でもあり得る。本人も家族も人生や生き方を考える大切な時間にしてほしい」と願う。

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