【エンタメ総合】
「こびとプロレス」が復活 クラファンで専用道場を開設し新団体設立「夢と希望を届けたい」

(左から)ミスター・ブッタマン、プリティ太田(C)ORICON NewS inc.


 1980年代までお茶の間で愛されていた「こびとプロレス」。その再生を目指すプロジェクトから生まれた新団体『椿ReINGz(ツバキリングズ)』の設立の記者会見が7日、都内で開催された。



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 現在日本で活動している「こびとプロレス」のプロレスラーは、プリティ太田とミスター・ブッタマンの2人だけとなった。そんな中、「こびとプロレス再生プロジェクト実行委員会」が有志メンバーで結成。8月22日から10月15日まで行われたクラウドファンディング『存続の危機を救え!こびとプロレス再生プロジェクトへご支援を!』は、目標額250万円に対して477万8000 円の支援金を集め、こびとプロレス専用のリングを購入することに成功した。



 そして、つばきHOLDINGSがプロジェクトの運営主体となり、大田区に日本初のこびとプロレス専用の道場を開設、新団体『椿ReINGz(ツバキリングズ)』を設立することに。団体は、新人レスラーの募集と育成に力を注いでいくと共に、来年5月をめどに興行の開催を目指す。



 団体名の『椿ReINGz』にある白い椿の花言葉は、「完全なる美しさ」「申し分のない魅力」「至上の愛らしさ」。「小さい」という個性を武器にして、果敢に闘うこびとレスラーの姿にぴったりな言葉として採用。「Re」は再生プロジェクトの名称「Reborn」から、そして現在進行形の「ING」にアルファベットの最後の文字である「z」は、行けるとこまで突き進む姿勢と“今”を表現している。また、ロゴの「椿」の文字は書道の師範でもあるプリティ太田選手がしたため、同選手のシャドーも加わった。



■こびとプロレスラーコメント

【ミスター・ブッタマン】

 プロレスラーとしての日々のトレーニングは本当に厳しく、正直な話、何度も逃げようと思ってきました。プロレスを離れていた時期もあります。それでも、今まで続けてきた一番の理由は、試合が楽しいから。デビュー戦はもちろん、武道館、東京ドーム、横浜アリーナ、両国国技館、有明など思い出の試合が数えきれないほどあります。全盛期には、お客さんが満員状態で、有名選手や他団体の方もいて、にぎわっていました。リングが大きな歓声に包まれる時、何度も「つらくても、やっていてよかった」と誇りに感じたことを覚えています。そんな経験をくれたプロレスは、自分にとっての「宝物」です。こびとプロレスを、たくさんの方にみてもらいたい。また、あの試合の盛り上がりを感じて、お客さんの笑っている顔がみたい。そのために、また動き出していきたいと思っています。



【プリティ太田】

 子どものころからプロレスの大ファンでプロレスラーに憧れていましたが、自分の体ではプロレスラーにはなれないと思っていました。こびとプロレスの存在を知り、自分もリングに立てるのではないかと、希望を抱くことができたのです。けれども、自分がプロレスを始めた時、すでにこびとプロレスは衰退していて、現役のこびとレスラーはブッタマンだけという状況。2人で試合をして、練習をするしかない。練習できる場所も、リングに上がれる機会も少ない。夢はあっても、先に進むことができないというジレンマを抱えてきました。こびとプロレスの存続は、自分たち次第だとわかっているのですが、2人だけでやれることは限られています。こびとプロレスの再生は、自分にとってのデスティーノ(運命)です! ぼくたちが動かなければ、日本のこびとプロレスは消えてしまうかもしれないのです。メキシコやアメリカのように、小柄な身体をいかして飛んだり、跳ねたり、激しく明るく楽しいプロレスの魅力を伝えたい。そして、「プロレス=野蛮」ではないことを広めたい。ほかのプロレス団体と試合をしたり、テレビに出たり、子どもたちに出前プロレスをやったり…。自分がこびとプロレスと出会ったことで「プロレスラーになりたい」という夢をもつことができたように、たくさんの人に夢と希望を届けたいのです!



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