【アニメ】
松本零士さんのお別れ会は“銀河葬”を表現 献歌は「銀河鉄道999」 YOSHIKIが弔電…声優・漫画家3000人参列

松本零士さんのお別れ会の様子


 2023年2月13日に急性心不全のため85歳で亡くなった漫画家・松本零士さんのお別れ会が3日、東京国際フォーラムで行われた。親交のあった声優や漫画家仲間、関係者が約3000人参列し涙を流しながら、それぞれ“星の海”に旅立った松本さんへ思いをつづった。祭壇は松本作品にちなみ“銀河葬”を表現し、YOSHIKIが弔電、献歌は松本作品アニメの主題歌を務めたささきいさおらが歌った。



【写真】泣ける献歌…「銀河鉄道999」を熱唱するささきいさお&タケカワユキヒデ



 会場では松本さんの軌跡を振り返るパネル展示や『銀河鉄道999』の999号機関室を再現した展示、999号の車窓で訪れた人の手紙を受け取る粋な展示企画が実施された。



 主な参列の著名人は池田昌子、一龍斎春水、宇田鋼之介、浦沢直樹、凰稀かなめ 加藤登紀子、ささきいさお、里中満智子、島本和彦、タケカワユキヒデ、ちばてつや、豊田有恒、中川晃教、永井豪、野沢雅子、萩尾望都、潘恵子、潘めぐみ、弘兼憲史、武論尊、的川泰宣、毛利衛、安彦良和、山崎直子、りんたろう。



 祭壇は、鉄郎とメーテルに見守られながら、銀河鉄道・999号に乗って地球から宇宙に飛び立つシーンを花祭壇で表現。美しい地球を花で作り、宇宙に飛び立つ線路もリアルに表現し、光り輝く星をイメージした星を表現したバルーンも祭壇の背景に浮かばせ銀河葬を表現した。



 献歌はTVアニメ「銀河鉄道999」(78年)やTVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」(74年)といった松本零士作品の楽曲を担当した、ささきいさおが担当。「銀河鉄道999」(作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:青木望)を披露した。



 また、1975年結成のバンド「ゴダイゴ」のボーカルを務め、映画『銀河鉄道999』(79年)で同名の主題歌を担当したタケカワユキヒデも、「銀河鉄道999(THE GALAXY EXPRESS 999)」(作詞:奈良橋陽子・山川啓介/作曲:タケカワユキヒデ/編曲:ミッキー吉野)を披露した。



 牧美也子は「みなさま、今日は、こんなにたくさんおいでいただきまして、本当にありがとうございました。長年、松本は本当に自分の好きな仕事を続けまして、みなさんの心の中に何かを残してきましたことを、同じ仕事をしている漫画家としての私も非常に共感、嬉しく思っております。今後とも、松本の仕事が、みなさまの心の中で生き続けてくれることを願っております。本当に今日はありがとうございました」とあいさつ。



 長女の松本摩紀子は「松本におきましては、生前、皆様に大変お世話になり、誠にありがとうございました。ご存知の方も多くいらっしゃるかと存じますが、「俺は俺の旗の下に生きる」というポリシーの下に、私が松本の手伝いを始める以前は、マネージャーも置かずにおりましたが、その結果、遅刻とオーバーブッキングや、お約束のすっぽかし…大遅刻とか締め切りを守らないとか、色々ございました。家族は見ていてハラハラしていたのですが、この場をお借りしまして、松本に代わりまして、謹んでお詫び申し上げます」。



 「松本とはよく、そのことで口喧嘩をしていました。「お父さん、そんなことをしていると、お父さんに何かあった時、誰も来てくれなくなるよ。」とと私が申しますと、それに対して松本は、「何を言うか!俺はまだくたばらん!」と、結局は単なる親子喧嘩になってしまい、そもそもの問題の解決には至らずにおりました。

 そして今日、とうとうその日を迎えた訳でございますが、長いコロナ禍というトンネルを抜けて、松本がお目にかかりたかった皆様にこうしてお集まりいただけたことに、心から感謝と御礼を申し上げます」。



 「これより松本は長い旅に出ます。「遠く時の輪の接する処で再び巡りあえる」と松本はよく申しておりましたが、それがいつになるのか全く見当もつきません。永遠と言えるほど遠い未来なのかもしれませんし、私達の考えるそれとは違う違った方法で訪れるのかもしれません。ですが、一つ確かなのは、その時まで、松本が遺したキャラクター達や物語を大切に預かり、見守り、育てていくことが、私達の責務であり、それが松本との約束だと思っております。至らない点も多々ございますが、精一杯精進してまいりますので、皆様方におかれましては、今後とも引き続き、ご支援を賜れますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。本日は誠にありがとうございました。以上を持ちまして、私の挨拶とさせていただきます」と伝えた。



 松本さんは1938年1月25日生まれ。福岡県久留米市出身。6歳の頃から絵を描き始め、9歳で手塚治虫氏の『新寶島』『月世界紳士』をきっかけに漫画を描き始める。16歳の時に投稿作『蜜蜂の冒険』が「漫画少年」にて受賞掲載され、これが商業誌デビューとなる。漫画家のデビューは1957年「少女」掲載の『黒い花びら』。1968年ごろより青年漫画誌が誕生し始めたころ「漫画ゴラク」に『セクサロイド』を発表。以降、青年漫画誌での執筆が増え、少年・青年漫画のジャンルで活躍するようになった。



 代表作は『男おいどん』『ガンフロンティア』『宇宙戦艦ヤマト』『エメラルダス』『ザ・コクピットシリーズ』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』『新竹取物語1000年女王』ほか。受賞・受章歴は、2001年に紫綬褒章受章、2008年に練馬区名誉区民、2010年に旭日小綬章受章、2012年にフランス芸術文化勲章 シュバリエ受章など。



■ちばてつやのコメント

 松本零士さん私があなたと初めて会ったのは、今からもう65年前、二人ともまだ高校を卒業した次の年。あなたは、北九州の小倉から夜汽車にのって上京したばかりで夜行列車の煙のススでしょうか、ちょっとホッペタが黒く汚れていて、でもまだ学生服の詰襟が似合う、紅顔の美少年でした。その頃私もマンガ家としてデビューしたばっかりで、食うや食わず。お互いにまだ売れない新人漫画家同士でね。



 文京区本郷三丁目に東京大学があります。あなたはその赤門のすぐ近くの西陽が差す、家賃の安い四畳半の「山越館」という下宿屋に居を構えて出版社に持ち込むための原稿を描きながら、いつも、いつも、お腹を空かせていましたね。でもあなたの、青雲の志は人一倍高く、いつかそのうちに大きな連載を勝ち取って、原稿料もらったら超一流の三つ星レストランでザブトンのようなステーキを食ってやる。その時にはちばちゃんにも食わせてやるぞ・・・と二人で夢を語りつつ・・・ちょっと色っぽいヌード写真や、18禁の色っぽい本をこっそり見せ合いながら、可愛い女の子や、美しい女性を描く練習に励む毎日でした。



 やがて二人ともまあ紆余曲折、短編を描いたり、イラストを描いたり、忙しい先輩漫画家のお手伝いをしたりして、苦労しながらも修行の成果が少しずつ上がって、なんとか一人前の漫画家として生活ができるようになっていきますけども…そうそう、松本さんはね親しくしていたのに私には全く内緒で、いつのまにか、同じ本郷に住んでいた牧美也子さんという美しい女性漫画家の伴侶を得て、どっしりと家庭を構えてからは順風満帆、その後『セクサロイド』や『男おいどん』などに続き、『キャプテンハーロック』、『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』手がける作品が次々と大ヒット。マンガ界も大きく飛躍し、週刊誌の時代に入って、二人とも寝る時間のないほど締め切りに追われる生活が続いていましたけども1979年(昭和54年)、我々がちょうど四十歳になる頃でしたけど、戦闘機とか戦艦とか、宇宙船だとかコックピットだとか・・・そういうメカニックが大好きな松本さんがある日突然電話をかけてきて「超音速旅客機のコンコルドに乗りたいぞ。」と言い出して、コンコルドに乗って宇宙に近い成層圏を飛んで世界一周するからちばちゃんも一緒に行こう・・・と誘われました。



 私は、どちらかというと成層圏もコンコルドも、メカニックも、全く興味がない人間だったし、それより何より、仕事も人一倍遅いものでしたから、週刊誌の締め切りで七転八倒していたので絶対無理だとお断りしたのですけれども…もうツアーも組んで、旅券からホテルから全て予約したから、と。もういろいろと寝耳に水で、松本さんの強引さに呆れて、あんなに慌てたことはありませんでしたよ。でも、詳しく話を聞くと、私も松本さんもちょっと親しくしていた女流漫画家さんの萩尾望都さんや『宇宙戦艦ヤマト』の森雪の声を担当した麻上洋子さん(現・一龍斎春水さん)も同行するけどどうする?って聞かれて、悩みましたけど…まあやむなく連載を休むことにして「仕方がなく」ですけども同行することになってしまいました。



 その後も一緒に草野球をやったり、運動会をやったり、ゴルフをやったり、お互いに仕事が遅くて時間がない中、ずいぶん無理をして仕事もして、遊びもしたものです。



 80歳を過ぎてからもあなたはいつも元気で、「ちばちゃん、そのうちに宇宙船に乗りたいな。宇宙船に乗って、無重力のなかで座布団みたいなビフテキを食ってみたい」と元気いっぱいでしたけど。2年程前、イタリアのトリノで松本さんがファンに

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