【エンタメ総合】
上岡龍太郎さん、横山ノックさんへの涙と笑いに包まれた“別れのあいさつ”『Nキャス』で放送【ほぼ全文】

上岡龍太郎さん (C)ORICON NewS inc.


 3日放送のTBS系『新・情報7days ニュースキャスター』(毎週土曜 後10:00)では、5月19日に死去した上岡龍太郎さんの追悼VTRを紹介。その中で、2007年に上岡さんが横山ノックさんのお別れ会で見せた“別れのあいさつ”を放送した。



【動画】2年前…松村邦洋が完全再現していた上岡龍太郎の“ノックさん弔辞”



 2000年に芸能界を引退していた上岡さんは、肺がんと間質性肺炎のため、5月19日に大阪市内の病院で亡くなった。81歳だった。6月2日、引退後の窓口となっていた米朝事務所が公表した。



 1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を集めた。



 番組内で紹介されたスピーチ全文は以下の通り。



■上岡龍太郎さんの横山ノックさんへの言葉

ノックさん、あなたは僕の太陽でした。あなたの熱と光のおかげで僕は育ちました。あなたの温かさと明るさに包まれて生きてきました。ノックさん、あなたはみんなの太陽でした。あなたが現れるだけでその場がぱっと明るくなりました。あなたが笑顔を見せるだけでみんな心が癒やされました。ノックさん、あなたは大きな太陽でした。あなたの前に立つと、自分がいかに些細なことにこだわり、つまらないことに悩み、取るに足らないことで人と争っているか。自分自身の小ささを思い知らされました。



ノックさん、あなたは今、西の空を真っ赤に染めて、水平線の向こうに沈んでいこうとしています。でも、僕の胸の中には今も真夏の太陽のようなあなたがぎらぎらと輝いています。あなたと初めて会った昭和35年1960年8月5日から、最後となった平成18年2006年4月4日までの思い出の数々が、まるで宝石のようにキラキラと胸いっぱいにつまっています。



六甲のベースキャンプ、ハウスボーイ時代にはサミーと呼ばれ、宝塚新芸座では三田久と名乗り、秋田Kスケから横山ノック、漫画トリオになったノックさん。初めて買ったブルーバードファンシーデラックスが盗まれ、セドリックからアルファロメオ、ジュリアスプリントベローチェ、運転手付きのダッジ・ダートに乗り換えたノックさん。我孫子町から沢之町、西宮北口から千里津雲台、桃山台の豪邸から芦屋に移り住んだノックさん。漫才師から参議院議員、大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん。



相方は車や住まいや肩書きはコロコロと変えたけど、奥さんだけは生涯変えなかったノックさん。血の滴るようなTボーンステーキが大好き。あんころ餅や大福もちといった甘いものが大好きで、なにより麻雀が大好きだったノックさん。女性が大好きだったノックさん。料理を作るのが上手かったノックさん。麻雀がへたくそだったノックさん。女性を口説くのが上手かったノックさん。お酒は弱かったノックさん。麻雀も弱かったノックさん。女性にも弱かったノックさん。



マーロン・ブランド扮するナポレオンの髪型を真似してピンカールしていたノックさん。あの頭で10日に1回、散髪に行っていたお洒落なノックさん。進駐軍仕込みの英語が堪能だったノックさん。そのくせカタカナは苦手だったノックさん。人を笑わせるのに自分は泣き虫で、賑やかなことが好きなさみしがり屋で、ありがた迷惑なほど世話焼きで、ああ見えて、意外に人見知りで、甘えん坊で頑固で意地っ張りで負けず嫌いで、天真爛漫でこどもっぽくてかわいくて、そしていつでもどんなときでも必ず僕の味方をしてくれたノックさん。



ノックさん、本当にありがとうございました。ノックさん、本当にお疲れ様でした。そして、ノックさん、本当にさようなら。

関連記事


最近の記事

茨城の求人情報

全国・世界のニュース