【エンタメ総合】
さんま、鶴瓶の電話で世間に出る前日に上岡龍太郎さん訃報知る「ずっと思い出す人やから」 紳助さんへの“連絡役”も担う
お笑い芸人の明石家さんまが、3日放送のMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』(後11:35 ※野球中継のために延長)に出演。5月19日に死去した上岡龍太郎さんについて語った。
【動画】2年前…松村邦洋が完全再現していた上岡龍太郎の“ノックさん弔辞”
番組冒頭、さんまは「上岡龍太郎師匠。仲良くしていただいて。5月19日に亡くなってはって。鶴瓶兄さんから(発表の前日にあたる)木曜日連絡あって。何かいなと思ったら、『こうこうで、息子さんから連絡があって…』っていうことで。最低限、何もかも家族で、密葬で済ませたみたいで。上岡師匠の息子さんが、紳助に連絡したいって言っているけど、連絡先を知らないと。(鶴瓶から)『さんまから(紳助に)伝えてほしい』ということで。『オレも連絡したくないんですよ』って言ったら(鶴瓶から)『そんなこと言うてる時やないねん』って」との会話があったことを明かした。
その後、紳助さんに連絡を取ったそうで「1回で出らんかったけど、紳助もすぐかかってきて。九州をキャンピングカーで1周して帰ってきたところやって。それでこうこうって言ったら『ありがとう』って。あいつは感傷的になるから、冗談も言えなかったんですけど」としながら「息子さんが、あしたニュースになるようにしているっていうことで、きょう(収録日にあたる金曜)までは黙っていてほしいっていうことだったんですけど」と打ち明けていた。最後は「ずっと思い出す人やからな」と偲んでいた。
2000年に芸能界を引退していた上岡さんは、肺がんと間質性肺炎のため、5月19日に大阪市内の病院で亡くなった。81歳だった。6月2日、引退後の窓口となっていた米朝事務所が公表した。
1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を集めた。
番組の模様は、放送後1週間以内は「radiko」で聞くことができる。
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番組冒頭、さんまは「上岡龍太郎師匠。仲良くしていただいて。5月19日に亡くなってはって。鶴瓶兄さんから(発表の前日にあたる)木曜日連絡あって。何かいなと思ったら、『こうこうで、息子さんから連絡があって…』っていうことで。最低限、何もかも家族で、密葬で済ませたみたいで。上岡師匠の息子さんが、紳助に連絡したいって言っているけど、連絡先を知らないと。(鶴瓶から)『さんまから(紳助に)伝えてほしい』ということで。『オレも連絡したくないんですよ』って言ったら(鶴瓶から)『そんなこと言うてる時やないねん』って」との会話があったことを明かした。
その後、紳助さんに連絡を取ったそうで「1回で出らんかったけど、紳助もすぐかかってきて。九州をキャンピングカーで1周して帰ってきたところやって。それでこうこうって言ったら『ありがとう』って。あいつは感傷的になるから、冗談も言えなかったんですけど」としながら「息子さんが、あしたニュースになるようにしているっていうことで、きょう(収録日にあたる金曜)までは黙っていてほしいっていうことだったんですけど」と打ち明けていた。最後は「ずっと思い出す人やからな」と偲んでいた。
2000年に芸能界を引退していた上岡さんは、肺がんと間質性肺炎のため、5月19日に大阪市内の病院で亡くなった。81歳だった。6月2日、引退後の窓口となっていた米朝事務所が公表した。
1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を集めた。
番組の模様は、放送後1週間以内は「radiko」で聞くことができる。