【エンタメ総合】
新生ファンモン、グループへの想いと2人での再始動への葛藤「“あの日の涙”に申し訳ない思いは今もある。でも…」
東京ドームでの解散ライブから8年。ファンキー加藤、モン吉の2人で“FUNKY MONKEY BΛBY’S”としての再始動を発表した。かつて「3人でなければファンモンではない」と語り、ソロとして活動してきた2人が、再始動を決めた理由とは。DJケミカルへの想いと再始動への葛藤、新生ファンモンとして届けたい想いを2人に聞いた。
【写真】「#尖ってた #イキってた」デビュー前“20代”のファンキー加藤
■「再始動のオファーを2度断っていた」1度きり3人集結で再び灯ったグループへの想い
――再始動のきっかけは、今年3月の『音楽の日』(TBS系)に3人で出演したことだそうですね。
ファンキー加藤 最初は全く(再結成のことは)考えていなくて、実はオファーを2度ほどお断りしたんです。でも、すごく熱量をもってお声がけいただいて。その中で、東日本大震災からちょうど10年という日であった『音楽の日』(への出演)が僕らにとってもすごく意義のあることに思えたんです。自分たちが出ることで誰かの悲しみを癒したり、明日への活力になるとするなら、これ以上の喜びはないなって。そういう思いでやらせていただくことにしました。
モン吉 僕は即答で「いいですよ」って。解散してから少し休んで、「やっぱりファンモンっておもしろいな」と思っていたので、「何かきっかけがあればいつでもいいな」と思ってました。
――久しぶりに3人でパフォーマンスをしてみていかがでしたか。
モン吉 8年前と変わらない体感でできたと思います。1+1+1=3以上だなっていう感じはしましたね。
ファンキー加藤 故郷みたいな、ずっと変わらない居心地の良さがありました。俺がステージの下手、モン吉が上手、斜め後ろに(DJ)ケミカルがいるというファンモンの立ち位置だったり歌がすごくしっくりきたというか。本番を終えた後に「あっ、これは2人でもやるだろうな」って、言葉を交わさなくても肌感覚でわかった感じですね。実はリハーサルや打ち合わせをする中で、3月11日の『音楽の日』のステージをもって、本格的に2人でやるかやらないかを決めようか、みたいなことにはなってました。
■盛大な解散ライブへの罪悪感、8年で思いに変化「批判の声があっても歌いたい」
――8年間のソロ活動で、寂しいと思ったこと、メンバーがいたらなと思ったことは?
モン吉 寂しいのはやっぱり楽屋かな。(3人の時は)ガヤガヤやっていたし、空き時間があったらどっかに遊びに行っていたし。メンバーがいたらなと思うのは、歌詞を書く時。ファンちゃん(ファンキー加藤)は歌詞担当みたいなところがあったので、ファンちゃんに書いてもらえたら助かるなあって。1回、フィーチャリングアーティストとしてオファーしたこともあるんですけど…。
ファンキー加藤 お断りしたような気がします(笑)。
モン吉 その時は時期尚早ということで実現しなかったんです(笑)。
――ソロの時に特に大変だなと思ったことはありますか。
ファンキー加藤 ライブ中ですね。ファンモンの時って、自分がちょっと体調が悪い日は、モンちゃん(モン吉)に事前に「ちょっとカバーしてもらえる?」とか、ケミカルに「DJブースから出て来て、俺の方で煽ってくれる?」って言ったり。ソロではそれができないので、精神的に結構キツかったですね。
――DJケミカルさんが実家のお寺の住職になるために辞めることになった時、「この3人でなければファンモンではない」という理由でグループを解散したという経緯もあり、2人で活動を再開することに葛藤はありませんでしたか?
ファンキー加藤 俺はそこが一番デカかったんです。ケミカルがいなくなるということで、東京ドームという大きい会場で解散ライブを行ったんで、自分の中でつじつまが合わないというか。あの日、ファンの方たちが流した涙に対して申し訳ない、みたいな。そこは今も完全には割り切れていなくて…。でも、コロナ禍でやりたいこともなかなかできない今の状況下で、人生80年と考えたら、もう42歳で折り返しが過ぎてるし、やり残す後悔みたいなことは嫌だなと思ったんです。批判の声があったとしても、歌えるステージがあるなら、それで喜んでくれる人がいるなら、歌った方がいいのかなと。
モン吉 解散当初はこだわりもありましたけど、時が経つにつれてそれが和らいでいって。求められているものがあるなら、それに対してやれたらなっていう思いでしたね。
――DJケミカルさんには2人で再始動することは事前に伝えましたか?
モン吉 僕は直接ケミちゃんと話しました。「いいんじゃないですか?」くらいの感じでした(笑)。
ファンキー加藤 ケミカルはもともと2人でやってほしかったみたいですね。あいつはあいつで、ファンモンの解散理由が自分にあるということに負い目のようなものがあったみたいで。俺らはケミカルが住職になることを最初からわかった上で一緒にやっていたので、全然負い目なんて感じる必要はないんですけど。やっぱりあいつは、そういう優しい男なんで、勝手にそう思っていたフシがあって。だから、2人でやるってなった時は、あいつは喜んでくれてました。
■学生時代のいじめが原体験に「一人よがりではない“頑張れ”を発信したかった」
――8年ぶりの楽曲制作などを通して、お互いに成長したなと思うことはありましたか?
モン吉 機嫌が悪いのとは違うんだけど、お互い疲れている時に、気を遣ってそういう空気をなるべく出さないようにしたりとか。大人になったのもあるし、経験したからっていうのもあると思います。「どっちにしてもこうなるなら、変な空気で過ごすよりは…」って。
ファンキー加藤 解散前は凄くハイペースでリリースしてツアーをやってと、ほとんど休めない状況の中、全力で走り続けていたので、そういう空気出しまくってた時期もあったよね、お互いに(笑)。「何でこんなに忙しいんだ」って当たり散らしてたんですよ。それをぐっとこらえられるようになったということですね。丸くなったんだと思います。
――再始動第1弾シングル「エール」はド直球の応援ソングですね。
ファンキー加藤 1発目ということと、こういう時代だからっていうのもあって。それこそ、サブスクチャートとかから熱い応援ソングが聴こえなくなった昨今だからこそ、メッセージに関しては敢えてど真ん中でいこうかと。
――歌詞に関してこだわった点は?
モン吉 特に、このコロナ禍の閉塞感のある中で、今の自分の悩みや思っていることを入れられたらと思って書きました。
ファンキー加藤 「頑張れよ」というワードを入れたかったんです。今、あんまり「頑張れよ」って言わないから。でも「言ってる俺がカッコイイ」みたいな感じは絶対に嫌だなと思って。要は一人よがりにならないように、その「頑張れよ」にちゃんと意味と意義を持たせるように、曲の物語を考えながら歌詞を書きました。
――今後は新生ファンモンとしてどんな楽曲を届けていきたいですか。
ファンキー加藤 基本的には2006年のデビューからずっと変わってないんです。その人が何かプラスに物事を考えられるようになったりとか、プラスの力になったりするようなその瞬間だけをずっと求めていて。例えば、誰かの涙一粒をすくってあげたり、立ち上がろうとしている人のちょっとした支えになったり…。僕は、学生時代にいじめられていた時期があって、長渕剛さんやTHE BLUE HEARTSさんとかの楽曲に暗い日々をすごく救ってもらったという音楽の原体験があるんです。「やっぱり音楽って人を救う力がある」って身をもって体感したので、自分が歌を歌う立場になってからは、常にそのことを考えていますね。
モン吉 “ラップを用いた日本のポップス”というのは変わらないですね。言ってみれば、声は一番の楽器なので、僕たちが歌うとポップスになるというか、2人で歌えばファンモンになると思います。
(取材・文/水白京)