【エンタメ総合】
借金返済、闘病、3度の離婚…波乱万丈乗り越え、一代で国内有数の通販企業を築いた63歳女性社長のSNS発信 なぜ反響?

株式会社愛しとーとの前身となった、株式会社HRK設立当初の社屋


 亡くなった父が残した8000万円もの借金を返済、自律神経失調症の闘病、3度の離婚経験…波乱万丈な人生を送りながらも、一代でコラーゲンゼリー14年連続売上日本一の企業を築き上げた、株式会社愛しとーとの岩本初恵CEO。彼女がTikTokで発信する悩み相談への回答が話題になっています。「何もしない息子の嫁に腹が立つ」(154.2万再生)、「上司を好きになれない」(89.7万再生)など様々な立場から悩みが寄せられますが、「私が答えることで、いろいろな人が前向きになってくれたら」と話します。自身がどのように人生の壁を乗り越えていったのか、話を聞きました。



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■10歳から刻まれた父からの教え「やることを逐一紙に書き出していた」



――お父様が亡くなられたあと、8000万円近くの借金が発覚したそうですね。当時は、どのような気持ちでしたか?



「その借金は父自身が借りたのではなく、いろいろな方の保証人や名義貸しをしていたことからできたものでした。『子どもが親の借金を払う義務はないから、破産宣告をしたほうがいい』と周囲に言われたのですが、私たちに内緒で父が返し続けていたものを返せないはずがないと思って、腹をくくりました。破産宣告はせずに経営者になろうと思ったんです。



 それが私の出発点で、泣きじゃくる母と借金とお仏壇を持って福岡に出てきて、『足は第2の心臓』とも父から聞かせられていたので、着圧のストッキングの開発を行い、生産してくれる工場を探して、100社くらい電話をしたり、1人で行っていました。ただ、個人が発注しても作ってくれるところはどこにもない(笑)。それでも1社だけ作ってくれるところがあって、ストッキングの商品開発を始めました」



――借金はどのように返していったのでしょうか?



「葬儀の最中、落ち込む暇もありませんでした。これから何をしたらいいのか、優先順位をまず紙に書きました。借金を返さないといけない、泣きじゃくる母の面倒を見ないといけない、そして漁師だった父が残していた船、家など全てお金に変えて、利子が高いサラ金から返していこうとか。漁業組合の借金など、金額を全て書き出して、これを返すには銀行にお願いするしかない。『岩本初恵は逃げも隠れもしませんので、岩本初恵に名義を変えるので、その代わり支払いを長くしてください』と頼んで頭を下げました。銀行がサラ金の分だけでもと、まとめて貸してくれて、他の返済先の皆さんも月々の返済を伸ばしてくれたおかげで、当時の貯蓄と稼ぎで、なんとか返していくことができました」



――なぜ経営者を目指されたのでしょう?



「10歳の頃から、父に天風哲学(稲盛和夫ら名だたる経営者や大谷翔平などのアスリートにも影響を及ぼした故・中村天風氏の教え)、帝王学、経営学、仏教を教え込まれていました。私が経営者となって、親戚のなかで一番の稼ぎ頭となってくれることが、父の願いでもあったんです」



――それほどに、岩本さんにとってお父様の存在は大きかった?



「8000万円の借金よりも、親が先に死ぬということのほうが、私には想像がつかなかったんです。それも『また来るけんね』と別れた、その30分後に(心筋梗塞で)亡くなってしまったというのが、もう何が起こったのかもわからない状況で。だから私はこれらを片付けて、天国かどこに行ったのかわからない父が、これからの私の動きを見て、褒めてくれるような生き方だけをしようと。『ここからは父から習ったもののみで生きていく。だから、人様に後ろ指を刺されるようなこともしない』と。



 人に考え方をわかってもらおうとせず、何か理不尽なことを言われたとしても、夜にしっかり寝られるような生き方だけにこだわっていくと約束しました。やることを逐一紙に書き出していたことを覚えています。そうやって一つずつ乗り越えていくと、なんでもうまくいくんですよということを、TikTokやInstagramで世の女性たちに教えていこうと思って、SNSでの発信を始めた経緯があります」



■社員の反対にあったSNS発信「波乱万丈を経験したからこそ、教えていける強さがある」



――実際にSNSをやってみて、いかがでしたか?



「最初は、当社の役員たちに反対されていたんです(笑)。60歳のおばちゃんが、今からSNSを始めて上手くいくわけがない。会社の恥になると。でも私は、私自身がどう見られるかなんて、関係がありませんでした。私の言葉で、1人でも人生が変わってくれて、自殺者が減ってくれたら、それが私の生き様だと思ってきました。発信する内容には、困ったことがありません。降りてくる、と言ったらちょっと語弊がありますが、今伝えないといけない言葉、その人に必要な言葉、どうしたら幸せになるかという考えは、天風哲学を学んでいるうちに、すべて降りてくるようになったからです」



――降りてくるようになったとは?



「私が10歳のときに習った“阿頼耶識”の働き方、今で言う潜在意識ですよね。これをスピリチュアルと言われたらしょうがないのですが、潜在意識の力があることを教えられたからこそ、ここまで来たと私は思っています。SNSはその人の波動やパワーが直接的に伝わるので、実際にいろいろな経験をして、それを解決してきた私が喋る言霊だからこそ、伝わる言葉となり、それが再生数にも現れているのだと思っています。SNSはInstagramに始まり、TikTokとYouTube、そしてオンラインサロンを開いて毎週ライブ配信をして、毎月皆さんに会えるようにしています。女性の経営者を育てたいと考えて、もう5年になります。毎月5000円の会費は、全額寄付しています」



――“波乱万丈”と言われるほど、いろいろな経験をされたことをご自身としてはどう受け止めていますか?



「波乱万丈の経験をしないと、経営者にはなれなかったと私は思います。波乱万丈を苦労と受け取るか、その苦労のおかげで周囲の人が前向きになって、『それを考えたら私はまだマシですね』と言われるための経験だとしたら、私にとっては財産です。父の借金を返すために、働く環境を変えなければならなかったこと、病を患ったこと、離婚を3度経験したこと…もう全て私にとっては宝です。そこで学んだからこそ、教えていける強さがあるのだと思うんです。だから、恥じていないです」



――会社のために、社員のために、身を粉にして働く岩本さんが当時課題に感じていたことは?



「20代、30代で離婚し、いきなり経営者をやって、自分で食べていかなきゃという焦りもありましたし、父の借金を返しながら子どもも1人で育てていましたから。子育ては孤立するということを痛感しました。自分だけが孤立して、育児ノイローゼになって…。そんな状況を作りたくないから、当社では子どもと一緒に出勤をして、子育てを一緒にしていくというスタイルをとっています。そういう会社が1社でもあれば、みんながマネしてくれると思っていたのですが、どこもマネしてくれません(笑)。



 はっきりと言えるのは、子育てを会社でしたからといって邪魔にはならないです。子どもたちからもらうパワーのほうが強いです。社員やその家族たちが安定して、健康になることが一番の財産なので。もうそれが全てですね」



――お子さんたちはそんな岩本さんの様子どのように見ていたと思いますか?



「取材やインタビューを受けて、子どもたちが話している言葉を聞いていると、『仕事って楽しいんだろうなと思う』って。お母さんを見ていたら、家に帰ってきたらバタバタご飯を作って、朝早くから起きて弁当を作って仕事をして、出張のときには作り置きをしてくれて。そういうのを見ると、仕事と家事の両立って簡単なんだと思っていたけど、自分がいざやるとできないと言っていました(笑)」



■「自分を見直す、自分と向き合うということを一度してほしい」悩める人へのメッセージ



――今後は会社としてどのような展望がありますか?



「会社は、営業を増やして売り上げを伸ばして、社員を増やしてということだけではないと私は考えています。ずっと続けていく、温存することのほうが大事だとも思いますので、社員たちが働きやすい環境を長く残していけたら、それが本当の企業かなと思っています」



――SNSでの今後のご活動はいかがですか?



「YouTubeでも私のこれまでの歩みは喋ったことがないんです。講演のときに聞かれたら答えるくらいで、苦労話とか、どう乗り越えたかというのはあまり話したことがありませんでした。これからは、そういった話をYouTubeなどでもお話して、何かしら励みになってもらえたらいいなということも考えています。



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