
【音楽】
山下達郎ロングインタビュー【後編】都市生活者の疎外を歌った22歳、そして野外フェスのステージを楽しむ72歳

「何でこんなとこでやんなきゃなんないの?」。そんな不満を抱えながら、22歳の山下達郎が作った『SONGS』は、やがて時代を超えて愛される名盤となった。都市生活の孤独を歌い、脇道を歩み続けた青年は、50年後の今、フジロックのステージにも立つ。山下達郎が語る、“あの頃”と“今”。貴重なロングインタビューの後編をお届けする。
山下が取材現場に持参した私物の『SONGS』と「DOWN TOWN」オリジナル盤
■僕、歌詞が弱いってずっと言われてたんですよ。日本の音楽要素は歌詞が70%だから
――さきほど『SONGS』を「マスターピース」と表現したら笑われてしまいましたけど、この作品は時代を追うごとに評価がどんどん高まっている印象があります。
恐らく、他にない作品なんでしょうね。ワン&オンリーなどという呼称はもっともらしくてイヤだけど、たまたま偶然、他にない制作環境と、1975年当時としては他にない楽曲構成と、バンドサウンドとして他にないアプローチだった。他に替えが効かないから残ってるというのが、僕の解釈。
――この都会っぽいサウンドが、例えばスティーリー・ダンの『彩(エイジャ)』『ガウチョ』などよりも先にリリースされているということにも驚かされますし。
いやいや、そんな大層なものじゃないですよ(笑)。僕らは東京生まれの東京育ちだったので、特に詞のテーマとしては、ターボーも僕も“都市生活者の疎外”みたいな部分が大きい。若干ペシミスティックというかね。特に僕なんか、女性像が朦朧としてるところがあるんです。「愛は成就しない」というね。ハル・デヴィド、ジム・ウェッブみたいな、ペシミスティックな歌詞が好きだったんで、そういうのが反映されてるんですけど…といっても22歳だから。ガキだよね。
――20代前半の当時、そういう心情を讃えていたご自身について、今振り返ってどう思われますか?
まあ、あんまり変わってないですね。僕、歌詞が弱いってずっと言われてたんですよ。日本の音楽要素は、歌詞が70%だから。高校生の頃にガールフレンドや友達のガールフレンドが聴いてたのは、大体、井上陽水とかアリス、さだまさし。「どういうところが好きなの?」と訊ねると、必ず「歌詞が良い」っていうんだよね。つまり日本では、音楽は歌詞なんだよね。今でもそう。でも、僕らは違う。僕らの時代、洋楽の突破口は何しろベンチャーズだったから。ベンチャーズって歌がない。日本人はみんな、小学校から6年、3年、3年で国語教育を徹底注入されるでしょ。他の主要科目は算数、理科、社会。もし音楽とか美術をそれぐらいの重点科目に格上げしたら、文化はまったく違う様相になると思う。「あそこのドロップ2は渋い」みたいな会話が成り立つようになる。西洋の貴族社会においては、みんな楽器がある程度弾けてた。だからオーケストラを観に行くと、「あそこのビオラの…」とか、「この作曲家なんかユニークだな」とか、そういうところに気付けるって話もありますよね。
今はカラオケ全盛だから、みんな歌が上手くなってる。昔のアマチュアバンドはギタリストが一番格上だった。一番上手いやつがリードギターで、その次がセカンドギター、次がベース。ドラムとキーボードはちょっと別だけど、何にもできないやつがボーカル担当っていうね。今は逆でしょ。ボーカル・オリエンテッドになってきた。それ自体は良いことなんですけど。話を戻して、そういう時代において、『SONGS』はやっぱり異端っていうか。これも常に言ってきましたが、僕の音楽スタイルは、メインストリームじゃないんですよ。傍流なんです。おかげさまで売り上げはある程度あるし、聴いてもらえてはいるけど、それでも僕は全然“脇道”です。メインストリームは、やっぱり松田聖子であり、ピンク・レディーであり、ユーミン(松任谷由実)であり、サザンであり、(中島)みゆきさんなんですよ。僕は傍流だから。それはもう、誰がなんと言おうとそう。そうやって生きてきたし、これからもそうです。あんまり先はないですけど(笑)。
――改めて、達郎さんの口から50周年盤の聴きどころを教えていただけますか。
『TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE Live』のライブ音源が商品化されたのは初めてです。これもすでに30年経ってますからね。ずっとライブアルバムを出さなきゃなんないと思ってて…『JOY2』っていうタイトルでね。その中でこの音源をどう扱うかが難しかったんだけど、このライブ音源がバラけるのももったいないと思って、1枚ものでやるとどうかなと思っていたんです。そしたら、スタッフが「じゃあこれ、先に出しましょうよ。そうすると『JOY2』やるときに楽になりますよ」って(笑)。それでこういう形になりました。最初に言ったように、40周年盤でやりたいことは全部やっちゃっていますので。ボーナストラックも出し尽くしてる。そういう意味では、今回のこれは“お祝い盤”。とはいえ、やっぱり何かプラスアルファのアイデアがないと、というわけで。
――アナログ盤もリリースされますね。最近はアナログレコードの人気が高まっているので、若いファンにも届きそうです。
ここ10年くらい、アナログ盤がたくさん出ているので、僕も1970年代・80年代の洋楽アナログレコード再発で目ぼしいものを買ってチェックしているんだけど、オリジナル盤を超えているものは1枚もないですよ。それはマスターテープの劣化、生産枚数が全然違う(少ない)、カッティングマシーンも70年代のものを使い続けている…等々、いろいろな理由からなんだけど。ただ、今回の『SONGS』は幸運なことに、オリジナルとそんなに大差がない仕上がりです。大瀧さんがこまめにバックアップを取っていて、マスターの状態がすごく良いので。CDに関しては、この10年CDのリマスタリング技術は一定の成熟に達しているので、40周年盤とそれほど変わりはありません。そうそう、カセット、結構良い音してます(笑)。
■夏フェスの野外はステージが狭いから、普通のホールよりかえってやりやすい
――最後に、今年のフジロックに出演することが発表されましたが、どのようなお気持ちで臨むのでしょうか?
すいません、みんなに「出て!」って言われて(笑)。夏フェスはこれまでも、ライジングサンやスペースシャワー、氣志團万博などいろいろやってるので、違和感はまったくないです。昔は野外とかやると、とにかく「踊れんのやれ!」。今はそういうのがなくなったから、本当にありがたいですよ。お客が受け入れてくれるから。まあ、フェスの出演時間はあっという間です。それに夏フェスの野外はステージが狭いから、普通のホールよりかえってやりやすいんだよね。
――野外ステージがやりやすいとおっしゃるのは意外でした。
野外も面白いよ。
――フジロック出演者発表時の大きなトピックとして、大変話題になっていましたよ。
そうですか…はい…頑張ります。とはいえ、もう歳だからね。52歳だったらまだあれですけど、72歳のジジイですから。天然記念物みたいなもんだね(笑)。
(聞き手:加藤一陽)
山下達郎(やました・たつろう)
1953年生まれ、東京都出身。日本を代表するシンガーソングライター、音楽プロデューサー。1975年にシュガー・ベイブとしてデビューし、シングル「DOWN TOWN」、アルバム『SONGS』を発表。翌年、ソロ活動を開始し「RIDE ON TIME」「クリスマス・イブ」など多くのヒット曲を生み出す。4月23日には活動50周年を祝した記念アイテム『SONGS 50th Anniversary Edition』と「DOWN TOWN」の7インチレコードを発売。