
【映画】
堤真一×山田裕貴『木の上の軍隊』 実在の人物がモデルに 子孫が撮影現場を訪問

俳優の堤真一と山田裕貴がダブル主演する映画『木の上の軍隊』(6月13日より沖縄にて先行公開、7月25日より全国公開)の物語は、実在の人物、宮崎県出身の山口静雄さん(当時36歳)と、沖縄県・うるま市出身の佐次田秀順さん(当時28歳)がモデルとなっている。
【画像】映画『木の上の軍隊』物語のモデルとなった山口静雄さん、佐次田秀順さん
太平洋戦争末期から戦後にかけての沖縄県・伊江島で、日本軍の敗戦を知らずに2年間、ガジュマルの樹上に身を潜めて生き抜いた2人の兵士。その実話から着想を得た故・井上ひさしさんが原案を遺し、こまつ座にて上演された同名舞台が、このたび映画化された。戦争体験者が少なくなる今の時代に、あらためて語り継がれるべき「人間の尊厳と生への執念」を描いた感動作だ。
沖縄戦の中でも激戦地のひとつとなった伊江島は沖縄本島北部から北西9キロの海上に浮かぶ一島一村(伊江村)の離島。1945年4月16日に米軍が上陸し、4月21日までの6日間、激しい攻防戦が展開され壊滅的な被害を受ける。
その戦いで3500人もの兵士や住民が命を落とした。山口さんと佐次田さんは、数名の兵士とともに壕を転々としていたが、戦況が激化するなかで徐々に仲間を失い2人だけに。そして、米軍の目を逃れるためにうっそうと葉が生い茂るガジュマルの木に登って身を潜め、想像を絶する樹上生活を始める。こうして始まった“たった2人の孤独な戦い”は、戦後の日本という時間軸に取り残されたまま、1947年まで続くことになる。
2人は木の枝を折り、葉を重ねて下から見えないように大きな“巣”を作った。地上に降りるのは夜のみで、食料は米軍が捨てた残飯やわずかに焼け残った野菜を探して命をつないだ。後に米軍のゴミ捨て場も見つけ、剃刀と鏡で髭を剃り、捨てられた軍服も着るようになる。佐次田さんは、破傷風にかかった山口さんのために砂糖水を探し与え、看病に尽力。極限状態の中でも、2人は夜な夜な空を見上げては家族の無事を祈り、郷里の方角に向かって敬礼することを欠かさなかったという。劇中の2人の生活も、史実に基づくエピソードが多く反映されている。
本作の撮影中、実在した人物をモデルとした役柄を演じることに堤は「僕自身も知らなかったことが多く、この映画を通して実際にこういうことがあったんだと知り、学びました。時が経ったからこそ、細かいことまでつまびらかにしていかなくてはならないと改めて感じました」と語っていた。
山田も「作品を通して僕も知らなかった沖縄の歴史を知ることができ、こういう時代があったから、生き抜いた人たちがいたから、今があるんだと再認識することができました」とコメントしている。
監督・脚本を手がけた平一紘は、沖縄出身。山口さんと佐次田さんのご家族や戦争体験者への綿密な取材を何度も行い、その度に脚本の改稿を重ね、沖縄の空気や自然、そして戦争の記録と記憶に、真正面から向き合った。
山口さんと佐次田さんが当時身を隠したガジュマルの大木は「ニーバンガズィマール」と呼ばれ、今も伊江島に残されており、「命を救った神木」として語り継がれている。2023年の台風で倒木したが、島の人々の手によって土を入れ替えて再建され、再び力強く根を張っている。まさに“人間が生き抜いてきた歴史の象徴”とも言える存在だ。
本作のロケは全編沖縄で、舞台の主となる木の上のシーンは、本作のために数ヶ月かけて伊江島の公園に植樹したガジュマルの樹上で撮影された。撮影時には、山口さんの次男・山口輝人さん、次女・政子さん、三女・春子さんと、佐次田さんの次男・佐次田満さん、長女・京子さんが来島。ニーバンガズィマールの前で対面を果たし、そろって撮影現場にも訪れた。戦後生まれの春子さんは「ここで二人が出会って、頑張ってくれなかったらなかった命。子どもたちとか孫とかに広がっていかなかった」と語っていた。
本作は、単に戦争を描いた作品ではなく、激動の時代に翻弄されながらも、過酷な状況の中で懸命に生き抜いた二人の姿を通して、“生きる”という普遍的な希望が感じられる作品。戦後80年という節目の今、“新しい戦前”とも言われる時代にあって、次の世代へ語り継いでいきたい物語として、そのメッセージは、より深い意味を持つのではないだろうか。