
【その他】
長嶋茂雄さん、最後まで「3」に縁でファン驚き 3日午前6時39分に死去…89(やきゅう)歳

読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳。長嶋さんと言えば背番号の「3」でお馴染みだが、亡くなった命日が「3」日の3の倍数である午前「6」時「39」分で、最後まで3に縁があることがネット上で話題となっている。
【写真】思い出の2ショット添え…大谷翔平、長嶋茂雄さん追悼
亡くなった年齢も89歳で「やきゅう」と最後まで野球の神様に愛された長嶋さん。背番号の「3」は巨人軍の永久欠番だ。そんな「3」に縁が深い長嶋さんが、3日午前6時39分に亡くなった。
これにネット上では「背番号でもある3(日)89(やきゅう)歳でお亡くなりになりました。なにか運命的な物を感じます。これからもプロ野球会を見守ってください。」「長嶋茂雄さん89歳(やきゅう)で亡くなるなんて最期まで野球に愛された人生だったのかもしれない」「89歳(やきゅう)3日(背番号3)すごいな、偶然だとしても 長嶋茂雄さんて野球に愛されてるなって思います」「自らの背番号である「3」と同じ数字がつく日、そして「89(やきゅう)」歳で旅立たれた。最後の最後まで野球の神様に愛された、“ミスタープロ野球”長嶋茂雄さん。ご冥福をお祈りします」と驚きつつ、追悼している。
長嶋さんの訃報について、読売巨人軍オーナー・山口寿一は球団を通じて「悲報に接し、言葉が見つかりません。子供のころ、ジャイアンツとは長嶋さんのチームでした。その思いは今も変わりません。『燃える男』の勝負強さと、太陽のような明るさ。高度成長の時代を体現したスーパースターであり、野球界を牽引した『ミスタープロ野球』でした」。
「病に倒れられた後も野球への情熱は衰えることがなく、最後まで東京ドームに来て、監督、コーチ、選手を激励してくださいました。長嶋さんの志は、後輩たちが確実に受け継いでいきます。心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントを発表した。
長嶋さんは、千葉県出身。1958年に読売ジャイアンツに入団。通算成績は、安打2471・本塁打444・打点1522・打率.305。1974年に現役引退試合を行い、「我が巨人軍は永久に不滅です」という球史に残る名言を残した。翌年より読売ジャイアンツの監督に就任し、チームを2度日本一に導く。“ミスター”の愛称で親しまれ、ジャイアンツファンだけでなく多くのファンから親しまれた。2001年に同チームの終身名誉監督となった。
■長嶋茂雄さん 関連シングル作品のオリコン記録
▼ZYYG,REV,ZARD&WANDS「果てしない夢を」(1993年6月9日発売)
オリコン週間シングルランキング最高2位、累積売上72.6万枚
feat.で長嶋茂雄さんが収録に参加。
▼長嶋茂雄『さよならミスター・ジャイアンツ』(1974年11月15日発売)
最高48位、累積売上3.9万枚
引退の挨拶や、インタビュー、実況などで構成された作品。
「オリコン週間シングルランキング」は「1968年1月4日付」よりスタート
クレジット:オリコン調べ(2025年6月2日付現在)