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作家・逢坂冬馬さん、大学卒業後に小説家目指す「書くことで生きているに値する存在であると思えた」

作家・逢坂冬馬さんと青山美智子さんによるトークイベントが先ごろ、東京・LIFORK大手町で開催された。今年3月刊行の『ブレイクショットの軌跡』(早川書房)が「第173回直木賞」候補作にもあがった逢坂さんと、自著が30ヵ国以上で翻訳され海外でも人気の青山さんが、約50名の参加者を前に、作家デビューまでの道のりと作品への想いを語った。
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■14歳で作家を志した青山美智子さん「書かずにいられなかった」
2021年に『同志少女よ、敵を撃て』でアガサ・クリスティー賞を受賞して作家デビューし、同作で「2022年本屋大賞」を受賞した逢坂さんが“書くこと”に目覚めたのは大学時代だったという。「大学で論文を書く機会が多く、学内での論文コンテストで2回学長賞をもらったことなどあり、そこで書くことの楽しさに気づいた」と話す。
執筆を始めたのは大学卒業後。「世界を捉えて表現する方法はいろいろあるが、僕の場合はそれが文章を書くことだった。小説というもので表現することでしか世の中を理解できないと感じた」という。その後、小説家デビューまでは10年以上の年月を要するが、「小説を書いていないと(気持ちが)苦しかった。でも書いていると苦しさから逃れられて、自分が生きているに値する存在であると思えた。小説家になるということは、商業ベースで読んでもらわないといけないけれど、それ以前に自分が創作をすることに救われていることに気づいた。それが小説を書いている理由であり、書き始めた理由です」と、当時を振り返った。
一方、2017年に『木曜日にはココアを』(宝島社)で小説家デビューした青山美智子さんは、14歳で小説家を志したという。中学生時代に『シンデレラ迷宮』(氷室冴子著)と出会い、マネをして書き始めたのが最初。ノートにイラストまで全部書き写して、最後まで書き上げた。書き上げることができたとき、小説家になることを決めた。
青山さんのデビューは47歳だ。「新人賞に応募し続けて33年かかりました。私の場合は書かずにいられない衝動に動かされていました。その衝動が今も続いていて、書かずにいられないんです(笑)」と創作に意欲を見せた。
■逢坂冬馬さん、読者の“心の本棚”に「自分の作品も入ったらいいなと思う」
逢坂さんの小説には戦争・暴力・差別・貧困などが前面に出てくる。これらのメッセージ性について参加者から質問があがると、「なぜそういうことを書いているかと言うと、そういうことが無い世界に対する希求が自分のなかにあるから」とし、「戦争や暴力などがある世界に生きているからこそ、それらを描くことで、世界平和といった究極の理想に少しでも思いを馳せてほしい」と応じた。
柔らかな筆致で日常を描く青山さんが意識しているのは、“人が死なない作品”という。現実において誰も死なない世界はありえないとしながらも、「私の小説は私のなかにある大きな街。その街では誰も死なず、誰もがハッピーエンドである。そんな街が1つくらいあってもいいじゃないかって思う。小学生から読めて100歳の方でも大人の小説として読み応えがあるものを書いていきたい」と力を込めた。
書き手としての想いはある一方で、「作品は読者のもの」と声をそろえた2人。青山さんは「小説に限らず言葉は、発した側のものではなく、受け取る側のもの。図書館に行くとそれが如実で、ア行の棚に逢坂冬馬さんがいて、青山美智子もいて、かの芥川龍之介さんもいる。その前でどれを読もうかなと悩んでいる読者さんにとっては、この3人の間には何のヒエラルキーも無ければ値段の差も無く、作家としてのキャリアも関係ない。結局、決めるのは読者さん。仕掛けや戦略が必要なときもあるけど、長い目で見たとき、結局そこなのかなって。だから、書きたいものを書いているので好きなように読んでほしい」。“旬”の作家の話を聞き洩らさぬよう、熱心に耳を傾ける参加者たちに呼びかけた。
逢坂さんも書いている時点ではどの作家でも区別はなく、歴史もの、古典、文学賞を取った話題書など、ラベリングされるのは後のことだと指摘。「図書館で整然と並んでいる在り方が、本来の並べられ方だと思う。皆さんのご自宅の本棚もそうでしょ?そういう人の“心の本棚”に、自分の作品も入ったらいいなと思います」と締めくくった。