【映画】
映画『宝島』原作者・真藤順丈の母校で上映会 中高生1600人が参加「自分の宝を探して」

高輪学園創立140周年記念・映画『宝島』全校上映会トークイベントに登壇した(左から)ジョン・カビラ、真藤順丈(原作者)、大友啓史(監督)


 俳優・妻夫木聡が主演する映画『宝島』(9月19日公開)の上映会が、3日に都内で行われ、高輪学園(東京都港区)の全校生徒約1600人(中学1~3年、高校1~3年の生徒、教職員含む)が参加した。同学園は、映画の原作小説を執筆した真藤順丈の母校であり、創立140周年記念の一環として実施された。



【動画】映画『宝島』特別映像【特別映像−たぎる想い編−】



 映画は、アメリカ統治下の沖縄の史実を背景に、自由を求め駆け抜けた若者たちの友情と葛藤を描いた作品。妻夫木のほか、広瀬すず、窪田正孝、永山瑛太らが出演している。



 上映後のトークイベントには、原作者・真藤順丈、大友啓史監督、沖縄出身のジョン・カビラが登壇。カビラは、「なぜわたしがここに呼ばれているのかと思いましたか?実は映画に声で出演していたんです」と明かし、劇中のハイライトシーンでもある「コザ暴動」当時の記憶を語った。



 「クリスチャンの家庭で育った私は教会に通っていましたが、そこで大人たちがざわついていたことを覚えています。何か大きなことが起こったらしく、両親との話の中で、父が『沖縄の皆さんは虐げられている。いつか爆発するかもしれないと思っていた』と言い、基地で働いていた母は『いずれ起こるかもしれないと危惧していた』と語っていました。そして、私もこの映画を観て涙しました」と感慨もひとしおの様子で、「新しい世代の皆さん、本当に心に刻んでくださいね」と呼びかけた。



 宣伝活動として、大友監督は主演の妻夫木とともに6月から全国でキャラバンを展開し、20以上の地域で舞台あいさつを行ってきたが、大人数の中高生を前にしたのは「今回が初めてかもしれません。皆さんのいろいろな感想が本当に楽しみです。そして、高輪学園創立140周年おめでとうございます!」と、あいさつ。



 真藤は「僕は皆さんの30年先輩です。ちょうど皆さんの校長や教頭が、まだ20代の先生ぐらいだった頃なので、隔世の感があります。映画はすごかったでしょ? 僕も本当にすごいものを観たなと思いましたし、学校(行事)で映画を観るというのもなかなかない経験だったと思う」と述べた。



 この日、残念ながら登壇がかなわなかった主演の妻夫木は、ビデオメッセージで、想いを伝えた。



 「この映画を通して僕は、過去は変えられないけど未来は変えられると思いました。一人ひとりの想いが、希望ある未来を作っていくんだと、僕は信じています。私たちは、先人たちの想いと共に今を生きています。今があるということは当たり前ではありません。何のために生きていくのか、そして未来に何を託していくのか。そういったことを、この映画を通して皆さんに感じていただけていたらうれしいです」



 高輪学園では平和学習として、11年前から中学3年時に沖縄研修旅行を実施。糸数アブチラガマ、佐喜眞美術館、平和祈念資料館、道の駅かでな、ひめゆり資料館などを巡り、伊江島での民泊も含め、沖縄文化を深く体験。また、現在の高校1年生全員が原作小説を課題図書として読了しているという。



 「私の頃には平和学習がなかったので、私も沖縄に行きたかった…!」と真藤は笑いを誘いながら語った一方で、「母校とこうして触れ合う日が来るとは人生分からないものだと思います。私はこれまで16作品ほど小説を書いてきましたが、映画化されたのは『宝島』が初めて。これほどスケールの大きな、素晴らしい映画にしてもらって、本当に恵まれていると感じています」としみじみ。



 学生時代から自主映画を撮っていたという真藤は、コザ暴動のシーンの撮影現場を訪れ、「現場があまりにも好きすぎて。しかも大友さんの現場は本当に面白いので、大友さんの隣でずっとモニターを見ていたんですけど、編集者からは『原作者が現場にいるとスタッフが気を遣うから帰りましょう』と言われて。なんなら暴動のシーンにも加わりたかったのに……」と語ると、大友監督は「全然いけましたよ。むしろ出てほしかった」と返答。真藤は残念そうな顔を見せながら、学生に向かって「もっと粘っておけば良かった。皆さんも自己主張しないとだめですよ」とアドバイスを送っていた。



 映画化の経緯について大友監督が「僕は以前『ちゅらさん』というドラマで本土復帰後の沖縄を撮ったんですが、復帰前の沖縄も撮りたいなと思っていたんです。だから原作の熱量にやられてしまい。作り手としてはその熱量に負けない熱量のある作品を、映画として作ろうと思った」と振り返ると、「僕も感無量でした」と応じた真藤。



 「ただ上下巻の長い話で、基地問題というセンシティブな物語なので、どうやって撮るのかなと思っていたんですが、見事に映像化していただいて。本当にこれはすごいことなんですよ。戦後の沖縄の返還までの話を、3時間超とはいえ、1本の映画にまとめていて。なおかつコザ暴動も、飛行機事故も、まったく逃げずに描ききった」と、映画をたたえた。



 その言葉に大友監督は「僕も含め、メインのキャストも沖縄の人間じゃないということで。沖縄で起きた過去の出来事をどう描き出すか。そこで体験した人たちの声に耳を傾けて、うそをつかないように。僕らができる精いっぱいをやった」と反応。



 真藤も「僕も沖縄にはルーツがない。そこで戦果アギヤーという義賊に自分を仮託して、沖縄のリアリティーに満ちた話を書き上げていったわけです。ただ戦後80年ということで、もしグスクやヤマコが生きていたら80歳か90歳くらいだと思うんですが、戦争を語り継ぐという意味で、われわれも当事者の方に頼り過ぎてたところがあるんじゃないかと。だから今度はわれわれの世代がそれぞれに、僕の場合は小説で、どうしてこんな日本になっているのか、何と戦い、置き去りにしているのかをひもといて、いろんな方向に未来へ引き継いでいけるよう、がんばっていかないといけないなと思いました」と語っていた。



 学生たちから感想と質問を受ける時間になると、「はい!」「はい!」と元気な声が飛び交い、その様子に真藤も大友監督も「すごいね」と笑顔に。「皆さんにとって沖縄とは?」という質問に真藤は「青春と革命の島という感じ」と返答。続けて、「このお話は、サンフランシスコ講和条約から沖縄返還までの20年間を描いてるんですが、その時代に本当に熱い時代があった。そこにはわれわれが忘れてしまったものや、青春に関する要素が全て凝縮されている。だからある種、戦後日本のあるべき姿がそこにあるのかなと思うんです。だから沖縄の青春と、その後のものを描いてるのが『宝島』。だから青春の島だと思います」。



 OBの真藤に「高輪学園ではどんな学生生活を送っていたんですか?」という質問も飛びだし、会場内が沸く一幕も。「僕は正直言ってボンクラでした。漫画や小説は一杯読んでたけど、夜ふかしをしていたので、授業中は寝てました。でも先生が、僕には内側から出てくるものを表現したいという欲求があるみたいだから、と言って、一緒に進路を考えてくれた。まさに(教育理念の)『見えるものの奥にある見えないものを見つめよう』という言葉の通りでした」と恩師への感謝を述べていた。



 最後に真藤は「僕は世の中を変えるつもりで『宝島』を書きました。映画のスタッフの皆さんもそういうような、何かを問いかけるようなものを届けたなと思い、感銘を受けています。でも実際に世の中を変えたり、動かない壁を動かしたりするのは皆さんの世代だと思っていますので先輩としてちょっと先輩風を吹かしてますけど、皆さんも自分の大事な宝を探すように、そういう風に人生を送っていただけたら」とメッセージ。



 大友監督は『宝島』が二度の中断を乗り越え、奇跡的に完成した作品であることを前置きし、「それだけに僕らもこの映画に対してものすごい愛着を持っているし、それと同時に、未来を切り開こうとしていた登場人物たちに、途中であきらめたら、グスクやヤマコやレイに『お前らに任せるべき作品じゃなかった』と言われちゃうような気がして。途中であきらめる判断もできずに、最後までしがみつくようにしてたどり着いた映画なんです。あきらめずに一生懸命やってると誰かが光を当ててくれることもあると思うんで。皆さんぜひ『宝島』を見ていただいて、グスクやヤマコやレイに自分を投影していただいて、当事者になっていただけたらと。もしちょっとでも感動していただけたら、この作品をぜひ広めてください」と学生たちに呼びかけ、イベントを締めくくった。

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